見て、帰って、書くー展覧会レポートのこと
- 3月22日
- 読了時間: 3分
📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
連休最終日。2時間ちょっと図書館に行って本を読み、帰りにどっさり本を借りてきました。休日は丸一日読書して過ごしたいと思いながら、帰路に着きました。
ここ数か月、わたしは展覧会レポートを毎日のように下書きしています。
書いているうちに、レポートを書くこと自体がだんだん楽しくなってきました。
展覧会レポートは、自分の感動や問いを備忘録として残したいものです。
だから、もっと自分に寄せて書いてもいいのだと、自分にGoサインを出しました。
それまでは、美術史的な文脈から考察したり、歴史や背景の情報が詰まった難しいものを書きたいという理想がありました。
それよりも、その場でどう感じたか、何を言葉にしたいと思ったのか、あるいは言葉にできなかったのか——そうしたことを書いておくほうが、数年後に読み返したとき、そのときの情景がふっとよみがえってくるはずです。
そういうテキストを書きたくなって、「行って、見て、帰る」というだけの時間の中に、思いも寄らないことがたくさん詰まっていることに気付きます。
その日の天気や気温。
来ている服の色合い。
鞄の重さ、選んだ靴。
電車の中のこと、道に迷うこと、来たことがある場所だと思い出して記憶をたどること。
美術館の佇まい。
光、風、匂い。
スタッフの顔や声のテンション、制服、メガネやブランケット、受付やチケットのやりとり。
作品を見たとき、個人的な記憶や情報がふつふつと浮かび上がってくる面白さ。
「これ、あれに似ている」「あのときのアレってこういうこと?」「へー、ここにつながるのね」といった、ささやかな発見。
謎解きのような楽しみや、逆に新しい謎を見つけること。
そうした個人的な体験をベースに鑑賞したことを書いていくと、レポートは少しずつ肉付けされていきます。
そしてそれが、自分にとって「見た」と言えることなのではないでしょうか。
映画や読書と違って、美術館の展示は好きな時に見返すことも、数年後に同じ形で訪れることができません。そのときその場の、ほんの2時間半の鑑賞時間。
その短い時間の中で、すべてを細かく焼き付けておくことはできないし、丁寧に見ることもできません。
あとから戻ろうと思っても、できるのは常設展で会える作品だけ。
企画展の華やかな舞台で、あの構成や並びのまま作品を見ることはもうできません。
だからこそ、その一回限りの短い鑑賞を、自分が出掛けた「体験」として、もっと自分に寄せて書くことが大切なのだと気付きました。
そうしたら書くことが楽しくなってきたのです。
BASEでは2026年カレンダーやポストカードやドローイング作品を取り扱っています。是非一度ご覧になってみてくださいね。
3月20日更新📝【note:もうひとつのブログ】
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