コラージュ作品が呼び起こす記憶の島:映画『宝島』沖縄の戦禍と表現の源
- 10月23日
- 読了時間: 3分

いつもブログを読んで下さる皆様、こんにちは。
ブログリニューアルと、カレンダー制作に没頭する毎日です。今回は、個展で出品した私のコラージュ作品が、観客の皆さまの記憶とどのように繋がったか、お客様との深い対話を通してそこから繋がった映画体験についてお話ししたいと思います。
コラージュが導く記憶の断片と戦禍の連想
個展期間中、あるコラージュ作品の前で、お客様と長い時間お話しする機会がありました。その作品は、私自身の意図を超えて、観てくださった方の心に「戦禍」や「歴史の断片」といったテーマを強く想起させたようでした。
「この作品をみると、ちいちゃんのかげおくりを思い出す。」
そうつぶやくお客様もいました。
他のお客様は、静かにぜひ観てほしいと強く勧めてくださったのが、現在公開中の映画『宝島』でした。お客様の記憶の断片が、私の作品を通じて呼び起こされた瞬間でした。
コラージュの哲学と沖縄映画『宝島』の交差
個展が終わり物事が落ち着いた頃、映画館へ足を運び、『宝島』を鑑賞しました。
舞台は戦後の沖縄。激動の時代を生き抜いた若者たちの記憶と理想が、交錯し、引き継がれていく物語です。
私のコラージュ作品は、既存のイメージを切り離し、再構築することで新しい意味を生み出します。それは、まるで破壊された歴史の断片を拾い集め、別の視点から物語を編み直す作業です。
映画『宝島』が、過去の「断片化された真実」を物語として再構築したように、私の作品はそれを視覚的な断片として表現しています。お客様からの映画の提案は、私が灰色をテーマとした「グレイ・ペインティング」とその内容が深く結びついていることの、気づきを与えてくれました。
作者が灰色をどのように捉えるか。これが観客の方々を誘導し見えない動線を引いてしまうことを改めて感じました。
動線を引くことによってどのような世界に作品を誘導するか。ということです。
原田マハ『太陽の棘』:記憶の棘と美の使命
奇しくも映画を鑑賞する約30日前、私は原田マハさんの小説『太陽の棘』を読みました。
この小説もまた、第二次世界大戦下の沖縄を舞台に、従軍医師と、美を追求し続けた芸術家たちのコロニーを描いています。
戦争という極限状態の中で、彼らはなぜ、それでも美を生み出そうとしたのか?破壊されていく世界で、芸術は何を為すことができるのか?
美しくも厳しい自然を持つ沖縄の多面性、つまり「光」と「影」のコントラストは、『太陽の棘』というタイトルに象徴されています。美しさの中に、記憶という鋭い「棘」がなければ、その表現は普遍的な力を持ちません。アートは、その棘を抜かず、あえて見せる使命を帯びているのかもしれません。
表現の根源は記憶を共有する「共同創造」にある
今回の経験は、私自身の制作活動における「共同創造」の重要性を強く認識させてくれました。
私の作品が持つメッセージは、私が意図した瞬間に完成するのではなく、観客であるあなたの人生経験、記憶、そして感情に触れることで、初めて広がり、深みを増していきます。
お客様が映画を勧めてくださった行為そのものが、作品を次のステージへと導く、共同創造の瞬間でした。
私のコラージュは、歴史という重い記憶の断片を示唆し、その行為が今をどこに繋げるかという問いと希望を再構築しようとする試みです。
皆様は、私のコラージュ作品から、どのような記憶や物語を連想されましたか?
ぜひコメント欄で、あなたの「断片」を教えていただけると嬉しいです。
お知らせ
来月11月1日には、皆様と作品の世界をさらに深く共有できる新しいサービスを開始します。こちらの準備も大詰めです。詳細をお楽しみに!


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