消えやすい世界で、居場所を保つということ
- 2月21日
- 読了時間: 3分
更新日:2月21日
📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
本来であれば、今日という日は皆さんとお会いしているはずの当日でした。
イベントを中止したことで生まれたこの静かな時間に、いま考えていることを綴りました。
💬改めて、中止の経緯についてはこちらをご覧ください。

いま、私の制作のペースはとてもゆっくりです。
作品やドローイングをどこかに投稿したり、
発信したりすることもほとんどしていません。
その一方で、自分がフォローしている人たちの近況は自然と目に入ってきます。
新しい作品の発表、展覧会のお知らせ、大きな展示が決まったという報告。
それらを見ていると、オンラインでもリアルでも、「何かをし続けること」をあらためて感じます。
自分の居場所を切り開き、そこに小さな穴を開けて立ち続けること。
それを続けることで、周囲に少しずつ存在が認知されていく。
とても地味で、時間のかかる営みですが、確かにそこには積み重なりがあります。
もしそれを一本のレールだとすると、そのレールから一歩外れたとき、あるいは自ら降りてしまったとき、果たしてまた同じ場所に戻れるのだろうか。
同じように見てもらえるのだろうか。
それとも、すべてがマイナスからの再スタートになるのだろうか。
会社に勤めている人も、そうでない人も、この点では同じ土俵に立たされている気がします。
オンラインとリアルの両方で、平等に与えられた「場所」の問題。
だからこそ、消えてしまうこと、不在になることは、案外簡単に起こってしまいます。
簡単だからこそ、その場所を死守し続ける忍耐や持続。
私自身、いまは少し表に出ることから離れている状態ですが、また戻ってきたとき、どれだけの関心を集められるのか。
それはとても限られた可能性の中で、また一から向き合うしかないのだと思います。
声を上げず、姿を見せず、発信もしない。
そうやって「不在のように存在する」時間を選ぶ人が多い理由も、きっとこの厳しさの中にあるのだろうと感じます。
そんなことを考えながら、ふと花壇を見ると、庭ではチューリップと水仙の球根が、ようやく土から芽を出していました。
それだけで、少し心がほどける。
というのは土の中に埋めてからずっと芽が出る日を心待ちにしていたからです。
まだ寒さの残る二月の中旬。
日々の切れ端の中に、確かな季節の移ろいを見つけています。
BASEでは2026年カレンダーやポストカードやドローイング作品を取り扱っています。是非一度ご覧になってみてくださいね。
2月20日更新📝【note:もうひとつのブログ】
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写真を交え、わたしのアートについて発信しています。こちらも是非楽しんくださいね。




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