アートはいつ、自分の記憶になるのだろう
- 4月9日
- 読了時間: 3分
📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
桜もほとんど散ってしまいました。
道路に花びらが残っているかと思って外に出てみたけれど、ほとんど見当たりません。
ほんの数日前まであれほど咲いていたものが、静かに消えてしまう。
その変化を眺めながら、ふと考えました。
私はこのブログを、誰に向けて書いているのだろう。
読んでくれた人に、何をもたらすことができるのだろう。
最近読んでいる、林綾野さんの『画家の食卓』が、その問いの糸口をくれました。
画家たちの作品ではなく、食卓や食べ物から作家を見つめるという視点です。
それを読みながら思ったのは、美術は「美術だけ」で語らなくてもいいのではないか、ということでした。
食と美術を結びつけることもできる。
読んでいる本の一場面と、展示室で見た絵を。
あるいは、今年の桜の散り方と、どこかの画家が描いた春を。
いや春を描いているわけではないのに、春の陽気を匂わせる絵を。
そうした組み合わせを並べてみると、一つの共通点に気づきました。
食べること。
本を読むこと。
季節を感じること。
だれかにとっては人生に不可欠だけれど、だれかにとってはそうじゃないかもしれません。
余暇とか、余剰とか呼ばれる、その部分。
そこに美術をそっと組み合わせてみる。
そうすると、アートは遠くにあるものではなくなる。
好きな料理の記憶。
読んだ小説の一場面。
ある季節の空気。
そうした個人的な記憶と作品が結びついたとき、鑑賞はとても私的な体験になります。
展覧会で見た作品が、後になって電車の中だったり、料理をしているときだったり、ふとした瞬間に思い出す。
誰かと共有するわけでもなく、ただ一人でほくそ笑んでしまうような記憶として。
だから私が書きたいのは、そういう時間のきっかけになる文章なのだと思うのです。
アートが、読んでくれた人自身の何かとそっとつながること。
静かで、プライベートな、その人だけの体験になること。
散ってしまった桜が、
それでもまだどこかに残っているような気がするように。
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