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2026展覧会レポート#14|アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たちAlfredo Jaar | You and Me and the Others②

  • 3月5日
  • 読了時間: 5分

更新日:3月10日

📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。


二日前に投稿した展覧会レポ―ト「2026展覧会レポート#14|アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たちAlfredo Jaar | You and Me and the Others」内で、書ききれなかったことがあるので、今日はそれについて書いていきます。


東京オペラシティの入口に飾られた一枚の小さなライトボックス——そこに写るのは、白いタキシード姿の若い頃のジャーです。彼がアーティストになる前、マジシャンだったことをご存知でしょうか。


💬前回の記事はこちらから


アーティストになる前、ジャーはマジシャンだった。幼少期のエピソード、マジックという言葉の起源、チリのカトリックと宗教観——《マジシャン》1979を入口に、ジャーの作品を貫く「光と見ること」の秘密に迫ります。
2026年2月|「アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たちAlfredo Jaar | You and Me and the Others」|東京オペラシティアートギャラリー


マジシャンだったジャー


会場を入ってすぐの壁面にはジャーのポートレート《マジシャン》1979があります。この作品は会場ポスターにもなっています。

マジシャンの恰好をした本人を写したちいさなライトボックスの作品です。


この作品のキャプションにはこのように書かれています。

少し長いですが引用します。


《マジシャン》では、光がメディウムでありながら、同時に比喩として扱われています。一枚のカラー透明フィルムを収めたライトボックスで構成された本作では、浮かび上がるイメージの発光がまるで舞台の一幕のように、幻影と啓示のあいだに置かれたひとりの人物を映し出しています。アーティストになる以前、手品師として活動していたジャーのトリックに対する初期の関心が、この作品の詩的感性に息づいています。自画像の中で、彼は白いタキシードに黒い蝶ネクタイとシルクハットを身につけ、ステッキと一輪のピンクのバラを手にしています。光が写真を照らし出すとき、外観と現実の境界は揺らぎ始めます。ここで光は、単に再現の手段ではなく、演じ、隠し、問いかける存在、知覚そのものを形づくる能動的な力へと変わっています。

本作は、現実と寓意が重なり合い、レンズ、投影、それを見る視線など、可視的な世界を構築する装置そのものを露わにすることで、イメージを媒介の場(メディエーション)へと変換しています。今日的な視点から見れば、このタイトルが示す「マジシャン」という言葉は、手品師の舞台を越えて解釈できるかもしれません。偽情報や陰謀論、視覚情報の操作などのもとになる「魔法的思考(マジカルシンキング)」もまた、光の誘惑と信じたい願望に依存しているのです。この初期の試みは、記録のための写真の使用から光の詩学への転換を示すものであり、光を用いて明白に思われる対象を異化し、目に見えるものを複雑化することで、見るという行為の条件そのものを舞台化していきます。その意味で、本作はイメージがどのように人を説得し、誘惑し、信念を形づくるかという、ジャーの生涯にわたる探究をすでに予告しているといえるでしょう。


アルフレド・ジャーは、幼い頃にマジシャンとして訓練を受けていました。

極度に内気な子どもだったジャーを心配した父親が精神科医に相談したところ、「マジックを学ばせなさい」と勧められたのだそうです。

ジャーはカードや小道具を使った手品を練習し、準備ができると家族を呼んで小さなショーを披露していました。


彼はこう語っています。「マジシャンである以上、観客はトリックにかかることを知っている。だからこそ彼らはトリックを見破ろうとし、あなたは見破られないようにする。あなたと観客の間には、何かが起きているという了解がある」。

この「観客との了解」という感覚は、のちのジャーの作品にそのまま生きていると思うと、なかなか興味深いです。


マジックという言葉はどこから来たのか


英語のmagic、magicianはラテン語のmagus、ギリシャ語のmagos、そして古代ペルシア語へと遡ります。もともとはゾロアスター教の聖職者・学者・占星術師を兼ねた存在を指す言葉でした。


さらに語源を辿ると、印欧語族の語根「magh=力を持つ者、可能にする者」に行き着きます。この語根からはalmighty(全能)、maharaja(大王)、そしてmachine(機械)という言葉まで派生しているというのは、少し驚きです。


つまりマジックとは、もともと「見えないものを見せ、不可能を可能にする力」を持つ者の技術だったわけです。ジャーが光と鏡と沈黙で作り出す「マジック・スペース」は、この古い意味に驚くほど近い場所にあります。



チリとカトリック、そしてジャーの立場


ジャーが育ったチリは、スペインによる植民地支配以来カトリックが社会の骨格を形成してきた国です。ピノチェット軍事政権の時代、カトリック教会は独裁に反対し人権擁護の役割を担いましたが、民主化後は再び保守的な立場に戻りました。現在もチリ国民の半数以上がカトリックを信仰しています。


ジャー自身は特定の宗教を信仰しているとは語っていません。

「私はヒューマニストだと強く感じている。関心を持つのは人権と正義の問題だ」というのが彼のスタンスです。


ただ興味深いのは、ジャーの作品に宗教的な光・影・沈黙・聖性の感覚が確かに宿っていることです。彼は宗教を信じているのではなく、宗教が数千年かけて人間の感情に刻み込んできたイメージの記憶を、意識的に使っているのかもしれません。


マジシャンが観客の「見たい」という欲望を利用するように。


幼い頃に鏡の前でトリックを練習していた少年が、のちに鏡とライトボックスの間に「マジック・スペース」を作るアーティストになった——その一本の線は、ひそかにつながっているように見えます。


「参考:Alfredo Jaar on Bringing Reality Into Focus, Time Sensitive, 2023」



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