2026展覧会レポート#14|アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たちAlfredo Jaar | You and Me and the Others
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某日、東京オペラシティアートアートギャラリー「アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たちAlfredo Jaar | You and Me and the Others」に足を運びました。
アルフレド・ジャーの作品はなぜアートでなければならないのか。
ジャーナリズムでも映画でも社会運動でもありえる内容を、彼はなぜ美術館に置くのか。
鑑賞後に言葉を積み重ねてみると、「戦略的思想」という概念と、埋もれたままの無数の作品のことが頭に浮かんびました。
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観に行きたいと思った理由
1956年チリ・サンティアゴ生まれのアルフレッド・ジャーは、建築と映像制作を学び、1982年に渡米。以後ニューヨークを拠点に国際的に活躍している作家です。
写真、映像、建築的スケールの立体作品など、多様なメディアを横断し、身体的体験を伴うインスタレーションを特徴としています。
チラシには次のようにあります。
彼の制作に通底する態度は、戦禍や不平等といった悲劇をはじめ、日常の諸問題に直面する私たちに、静かに、しかし力強く訴えかけます。善悪は単純に決められるものではなく、時に反転することがあること。遠く離れた国の惨事にも私たちが関わっている可能性があること。異なる価値観を持つ他者の存在を否定せず、それでも幸せになるために、一人ひとりがよく見て考えることを促します。
ー展覧会チラシより
これは、私が最近読書や映画、写真展を通して感じているテーマと重なります。
まるで通奏低音のように、それぞれの作家が身体を通して訴えている問いではないでしょうか。
作品鑑賞の後で
作品鑑賞して数日経ったとき気になったことを書き留めておきます。今回はそのうちの二つの問い——「なぜアートでなければならないのか」と「作品の固有性はどこに宿るのか」——を中心に考えてみます。
▼生じた問い4つ
①アルフレド・ジャーの作品では、彼の視点や思想を反映しているでしょうか?反映しているとすればどのようなことか?同じ視点を観客に求めているか?
②彼の作品は手仕事的な絵画や彫刻といったオールドメディアではありません。オールドメディアを使わないことでどのような作品展開を可能にしたか、それによって新しいメディアでアートをどのように解釈したか?
③彼はアートに写真のクオリティや思想、ショートムービーや装置のようなものを含めていましたが、それらがアートでなければならない理由はどこにあるのか?
④ジャーの作品は観た時は強い刺激を感じたが、この先彼の作品を思い出すことはないかもしれません。際立った作品、彼の代名詞と言えるような作品があったかといえば、もしかしたらそれはジャーでなくても思いつく可能性があるからです。作品の固有性というのはどこに宿るのでしょうか?また作品の固有性というのは必要か?
なぜアートでなければならないのか
実際に観たジャーの作品は、ジャーナリズムでも映画でも社会運動でもありえる内容でした。では、なぜアートの文脈に置くのでしょうか。考えられる理由が三つあります。
① 機能からの解放
ジャーナリズムは事実を伝える義務があり、映画はナラティブを要求されます。アートだけが「意味を宙吊りにする権利」を持っています。彼の作品が答えを出さず問いだけを残せるのは、アートだからです。
② 鑑賞の時間
美術館という場所は観客に「立ち止まること」を要求します。同じ映像でもSNSで流れてきたら人は3秒でスクロールします。アートの制度的枠組みが、作品に向き合う時間を保証しています。
③ 沈黙の正当性
ジャーは何も語らない、説明しない作品を作ります(ただし会場では作品解説書によって、観客がどう作品を観ればよいか動線が生じていました)。それが成立するのはアートという文脈だけです。ドキュメンタリーでは説明責任が生じます。
④ そして、最大の理由——絶対的モチーフへの接続
これが、私がギャラリーを出た後に気づいた最も重要なことです。
ジャーは、美術史が繰り返し扱ってきた絶対的なモチーフの文脈で作品を作っています。
陰影(光と影)、宗教、風景、そして四大元素。
これらは数千年にわたって人間が感情を表現するために選んできたモチーフです。美術史がそれを「発見した」のではなく、ただ記録してきただけかもしれない。
ジャーがニューメディアを使いながらも古い感覚的なコードを活性化させることができるのは、このためです。
レンブラントの光、ロスコの色の場、フリードリヒの崇高な風景——観客はその記憶を身体の中に持ってギャラリーに入ります。ジャーの光と沈黙は、その記憶に触れます。
ジャーナリズムや映画には決してできないことです。アートの歴史的文脈と制度的文脈の両方が同時に必要だからです。

ジャーはいつからアーティストになったのか
ここで一つの仮説を立ててみます。
ジャーは建築と映像という「有用性の世界」から出発しました。
1981年にピノチェット軍事政権下のチリを離れ、ニューヨークに移住したとき、彼はアーティストとしてではなく、建築家・映像作家として入った。初期は都市空間デザインの意識があったと思います。


しかし1986年にヴェネチア・ビエンナーレ、1987年にドクメンタへの参加が起きます。評価する側が先に動いた可能性があります。ビエンナーレやドクメンタという「無用性を許可する場所」に置かれたとき、同じ光と空間が突然「意味を問われるもの」に変容した。
そしてジャー自身がその変容を学習し、意図的にアートの文脈のコードを習得していった——これはむしろ彼の知性の証明とも言えます。
ただし意図だけではありません。ピノチェット独裁下で青年期を過ごした人間にとって、光と影は比喩ではありません。検閲とは何かを見えなくすることであり、光とは見えることの回復です。

チリで生まれ、マルティニーク島で育ち、複数の場所の身体を持つ人間にとって、風景や元素は特定の国土に帰属できない者が持つ唯一の普遍的な故郷である可能性もある。
つまりジャーの作品の核心には「戦略的思想」があると私は考えます。
戦略の下に必然があり、必然の上に戦略がある。抑圧された記憶が無意識にモチーフを選び、建築とアートの教育がそれに形を与え、アート制度がそれを文脈化した。
作品は作家を超える
しかし作品というのは、作家の人間性や出自、思想や言動と完全に一致するものではありません。

たとえば今回出展された《エウロパ》はボスニア紛争を題材にしています。しかし作品として空間に置かれた光と沈黙は、ボスニアとは無関係に喪失そのもの、不在そのものとして経験されます。ジャーの言葉
光とは、私たちが〈見ることを学ぶ〉ための言語である」
を思い起こさせます。

《サウンド・オブ・サイレンス》(2006)もまた、特定の事件を超えて、見ることの暴力性と沈黙の重さを問いかけてきます。作品がジャーの主張を超えた瞬間、それは普遍になります。
作品と作家の思想的主張は異なる——これが作品の持つ存在性ではないでしょうか。
ジャーの作品が「像として記憶に残りにくい」という感覚は、実はジャーという作家から作品が自律している証拠かもしれません。ジャーの名前と結びつかない体験として残る——それこそが作品が作家を超えた状態。


埋もれた作品のことを考える
ここまで考えてきて、ふと別のことを想像しました。
世界中に点在する、ジャーと同じような境遇で、同じようなメッセージを含んだ作品を作った無名のアーティストたち。それが見つからないまま埋もれていたら?
フェルメールは死後ほぼ忘れられ、19世紀に再発見されました。
ヴィヴィアン・マイヤーは死後にたまたま発見されなければ、世界最高の街頭写真家の一人として語られることはなかった。
才能と評価の間には、制度・偶然・権力・時代が介在します。
ジャーがジャーである理由の中に、作品そのものだけでなく、発見され、文脈化され、制度の中で語られてきた歴史が含まれています。
チリで生まれ、独裁を生き、ニューヨークに渡り、制度に発見され、ルワンダに行き、東京オペラシティで展示される——その全ての連鎖の中に固有性が宿っています。
埋もれた作品には、その連鎖がなかった。
それは作品の敗北ではなく、世界の側の問題です。

おわりに
東京オペラシティを出た後、私はしばらくジャーのことを考えました。
作品のインパクトや体験としての衝撃はありました。
しかしこれらが数日後、数か月後、数年後、像として記憶に残っているだろうか。
ですが、こうして言葉を積み重ねてみると、何かが小さく堆積していることに気づきます。
ジャーは記憶に残る像を作ることより、見ている瞬間に何かを崩すことに賭けている作家なのかもしれません。その効果は事後に「思い出す」形では現れず、見方や感度に静かに染み込むものとしてです。
美術館を出た後で、現実の世界に目を向けるわたしたちのふたつの眼、レンズ。
鏡と背後に隠されたライトボックスの間の「マジック・スペース」という領域に気付くように。

【アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たち
Alfredo Jaar | You and Me and the Others】
期間:2026年1月21日[水]─ 3月29日[日]
会場:東京オペラシティ アートギャラリー
開館時間:11:00 ─ 19:00(入場は18:30まで)
入場料:一般 1,600円
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🚩3月3日更新📝【note:もうひとつのブログ】
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