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2026展覧会レポート#09|アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦

  • 2月13日
  • 読了時間: 8分

📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。


某日、東京国立近代美術館で開催され「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答」

展を観に行ってきました。


この展覧会は回顧展でも、女性作家の紹介展でもなく、ひとつの姿勢として社会に問いを投げかけているように感じました。


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2.「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」

もう一つは、日本の女性美術家たちに焦点を当てた「アンチ・アクション —— 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」展です。

本展は、戦後日本におけるアンフォルメルの文脈の中で活動してきた女性作家たちを取り上げた展覧会で、すでに多くのレポートや言及を目にしています。

その反応の多さ自体が、このテーマの切実さを物語っているようにも感じられます。

戦後という大きな転換期において、彼女たちはどのような状況の中で制作を続け、どのように語られ、あるいは語られてこなかったのか。

作品そのものだけでなく、その背後にある制度や評価の構造にも目を向ける必要があると感じています。

また、現在の視点から見たとき、当時の表現はどのように読み替えられるのか。

再評価という言葉の背後に、新たに立ち上がる問いや違和感はないのか。

その点も含めて、展示の構成や作品同士の関係性を丁寧に追ってみたいと考えています。

この展覧会は、過去の作家を振り返るものではなく、いま制作を続ける立場から、自分自身の足場や視座を点検するための参照点になるのではないかと思っています。

東京国立近代美術館「アンチ・アクション——彼女たちそれぞれの応答」展を鑑賞。14名の女性作家と戦後美術史、再評価の構造、実際に作品を見て感じたことを交えて綴ります。
2026年2月|「アンチ・アクション彼女たち、それぞれの応答と挑戦」展|東京国立近代美術館

展覧会の背景——中島泉『アンチ・アクション』から始まった再検証


本展の学術的背景には、中島泉さんの著書『アンチ・アクション―日本戦後絵画と女性画家』(2019年刊行/第42回サントリー学芸賞受賞、2025年に筑摩書房より増補改訂版刊行)があります。


この研究を契機として企画された本展は、

  • 2025年10月:豊田市美術館

  • 2025年12月〜2026年2月:東京国立近代美術館

  • 2026年3月〜5月:兵庫県立美術館


と巡回しています。

出品作家は以下の14名です。


  • 赤穴桂子(1924-1998)|コラージュによる空間の対比


  • 芥川(間所)紗織(1924-1966)|人体から抽象へ の展開


  • 榎本和子(1930-2019)|幾何学とシュルレアリスム技法


  • 江見絹子(1923-2015)|絵具の物質性と透明な色彩


  • 草間彌生(1929-)|反復による無限と自己消滅


  • 白髪富士子(1928-2015)|強靭な素材による超越性


  • 多田美波(1924-2014)|新素材による平面から立体への展開


  • 田中敦子(1932-2005)|工業素材による幾何学的抽象


  • 田中田鶴子(1913-2015)| 円から形象の消失へ


  • 田部光子(1933-2024)|アスファルトという日常素材


  • 福島秀子(1927-1997)|捺印による時空間の創造


  • 宮脇愛子(1929-2014)|光と金属による「うつろい」


  • 毛利眞美(1926-2022)| 絵具の痕跡と筆触


  • 山崎つる子(1925-2019)|金属素材によるポップな表現


名前だけを見ると、すでに知られている作家も含まれています。


しかし、美術館で個展が開催され、継続的に研究されてきたのは、その中のごく一部にすぎません。


💬『アンチ・アクション─日本戦後絵画と女性画家』が2019年に刊行。第42回サントリー学芸賞を受賞し、2025年には増補改訂版が筑摩書房から出版された



なぜ「女性作家」という括りが必要なのか


私がこの展覧会を見たいと思った理由のひとつは、「女性作家」という枠組みそのものへの違和感でした。


なぜ男性作家とは言わず、女性作家と言うのか。

そして「彼女たちそれぞれの応答」の「それぞれ」とは何を指しているのか。


また、「アンチ・アクション」という言葉にも強く惹かれました。


アクション・ペインティングと聞くと、身体性の強い、感情を爆発させるような制作――どこか男性的なイメージが浮かびます。


そこに「アンチ」がつくとは、どういうことなのだろう、と。



戦後という転換期と、消えていった作家たち


1950年代前半、日本の画家たちはアンフォルメルの流れのなかで国際舞台に参加し、

性別を超えて作品が評価される可能性も見えていました。


しかしその後、西洋中心主義の構造のなかで、

日本は「他者」として、さらには「女性的」として位置づけられていることが明確になります。


批評の側は、自らの概念的な男性性を強める方向へと舵を切り、アンフォルメルは切り捨てられ、「一過性の現象」として整理されていきました。


この過程で、多くの女性作家は制度的に排除されます。


  • 批評に取り上げられない

  • 美術館に収蔵されない

  • 研究対象にならない

  • 結果として歴史から消えていく


という連鎖構造です。


実際、本展出品14名のうち、美術館で個展が開かれたのは草間彌生や田中敦子など限られた作家のみ。半数近くは、作家研究もほとんど行われていません。


彼女たちは戦前、「花」や「子ども」といった“女性らしい”題材を求められ、

自我を問う自画像や屋外制作は奨励されませんでした。


女性画家であること自体が、すでに規範のなかに置かれていたのです。



アンチ・アクションとは何だったのか


現在の視点から見ると、彼女たちの制作は「男性的価値観としてのアクション」への無意識の抵抗、つまりアンチ・アクションとして読み直されます。


ただし、ここには慎重さが必要だと思いました。


彼女たちはジェンダーへの抵抗として制作していたのか。

それとも、ただ自分の表現を追求していただけなのか。

いま私たちがフェミニズムというラベルを貼ること自体が、新たなバイアスになっていないか。

女性作家という枠で見ることで、作品の造形的価値を見落としてはいないか。


ジェンダーの視点は作品理解を豊かにします。


けれど、それが唯一の読みになってしまえば、別の暴力になりかねません。



「再評価」という言葉の危うさ


もうひとつ強く残ったのは、「再評価」という言葉への違和感です。


再評価できるのは、作品が残っている作家だけ。


作品すら残らなかった無数の女性作家は、最初から対象外です。


さらに、再評価されるのは、すでに可視化可能な一部の作家だけ。


その評価基準自体が男性中心的な価値観で構成されているとしたら、それを追認していることにならないでしょうか。


多くの作家はすでに亡くなっています。


彼女たちは「女性作家として再評価されたい」と思っていたのでしょうか。


もしかしたら、ただ作家として見られたかっただけかもしれません。


東京国立近代美術館「アンチ・アクション——彼女たちそれぞれの応答」展を鑑賞。14名の女性作家と戦後美術史、再評価の構造、実際に作品を見て感じたことを交えて綴ります。
田中田鶴子《無Ⅱ》1940年、油彩、カンヴァス|Tanaka tazuko《Naught Ⅱ》

実際に作品を前にして


実際に会場で作品と向き合ったとき、身体の感覚として残ったものは以下です。


私がとくに気になったのは、田中田鶴子《無Ⅱ》(1940年/油彩・カンヴァス)です。


土色を基調とした画面の上に、赤い記号のような形象が浮かび上がるこの作品は、どこかアントニ・タピエスの作品を連想させます。


禁欲的で、張りつめた緊張感があり、荒涼とした廃墟のような気配を帯びたカンヴァスでした。


感情を誇張することなく、沈黙のなかで強度だけが残るような佇まいがあります。


もうひとり強く印象に残ったのは、江見絹子の作品群です。


江見さんの作品はすべて撮影不可でしたが、どれも圧倒的な「密度」を感じさせました。


ここで言う密度とは、描き込みの量ではありません。


カンヴァスに対して何を行うのか、その行為のひとつひとつが、技術的にも素材的にも考え抜かれていること。


そして、それらが作家自身の按配と抑揚によって統御され、ピリリとした中性的な緊張感として立ち上がっている。


その思索の深さが、画面の奥に静かに沈殿しているように感じられました。


ジェンダーや制度の話を超えて、まず作品そのものが持つ強度に、身体が先に反応してしまう。


その感覚こそが、私にとってこの展覧会を「理論」ではなく「経験」に変えた瞬間だったように思います。



見ることのあとで


アンチアクション展を通して感じたのは、女性作家を美術史に加えることで「完成」するのではなく、美術史そのものが書き換えられる可能性でした。


けれど同時に、その書き換えは決して単純な回復作業ではありません。


再評価できるのは、すでに作品が残っている作家だけであり、可視化された一部の存在だけが語られていく。


その構造自体もまた、問い直される必要があります。


そして何より、会場で作品を前にしたとき、制度やジェンダーという枠組みより先に、ただ静かに身体が反応してしまう瞬間がありました。


田中田鶴子の張りつめた沈黙。

江見絹子の画面に宿る、思索の密度。


反復、捺印、コラージュ、幾何学、工業素材、光、アスファルト——すべて異なるアプローチがありました。

それらは「女性作家」という言葉ではすくいきれない、個別の強度として立ち上がっていました。


「彼女たちそれぞれの応答」というタイトルは、まさにその一点に向かっているのだと思います。


作家たちは代表でも象徴でもなく、それぞれが、それぞれの場所から応答していた。


この展覧会が伝えているのは、過去の修復ではなく、見る側である私たち自身の視点の更新なのかもしれません。


美術史だけでなく、評価の基準や、無意識に受け入れてきた構造そのものを、いま一度見直すこと。



美術史の先へ


10年後、50年後、100年後。


私たちの時代は、どのような基準で語り直されるのでしょうか。


誰の声が残り、誰の仕事が消えていくのか。


その選別は、いまこの瞬間も続いています。


この展覧会は、そのことをとても静かに、しかし確実に突きつけているように感じました。


 アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦

2025/12/16(日)~2026/2/8(日)

東京国立近代美術館

開館時間10:00~17:00

観覧料:一般2,000円



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🚩2月12日更新📝【note:もうひとつのブログ】

noteではWixブログで書いた内容を、読みやすくわかりやすいテキストにしています。

写真を交え、わたしのアートについて発信しています。こちらも是非楽しんくださいね。


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