2026展覧会レポート#49|ヨックモックミュージアム 開館記念第6弾 ピカソ・ミロ・バルセロのセラミックーカタルーニャへの愛ー
- 7月10日
- 読了時間: 8分
📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
昨日は熱中症になりながらも、なんとか外出先から帰路に着いたのですが、急に30度越えで身の危険もある日中の外出がある日などは、皆さんも体調にお気を付けてお出掛けください。
さて、いま国立新美術館では「ピカソ meets ポール・スミス」が好評ですね。ポール・スミスがピカソ作品をカテゴリーごとに15のブースに分けてプロデュースしています。その中で「セラミック」を集めた白いブースがあるのですが、そこでは壁一面に白い平皿を敷き詰め、中央にピカソが絵付けした皿を並べ展示しています。
この絵付けした作品をもっと見られる展覧会が、青山にあるヨックモックミュージアムです。
ヨックモックミュージアムでは2月10日~12月20日までの長期間、「ピカソ・ミロ・バルセロのセラミック―カタルーニャへの愛―」が開催しています。
この展覧会を知った当初から惹かれ、すぐにでも観に行きたかったのですが、12月まで開催していることと、青山方面へ行くなら他の展覧会との兼ね合いもあり、やっと見に行ってきました。
💬訪れる前に見どころをまとめてみました。

カタルーニャという土地と、3人の作家
まずカタルーニャとはどういった地域なのか、会場キャプションにはこう記されています。
「カタルーニャはフランスと国境を接し、スペイン北東部・地中海側に位置する自治州です。スペイン内戦と独裁政治下での文化的抑圧の中でも自治を希求し続けました。独自の気概と文化を持つ地域です。」
そのカタルーニャにルーツを持つ3人のセラミック(陶芸)にフォーカスした本展の3人について簡単にまとめてみます。
パブロ・ピカソ(1881-1973)がバルセロナに移り住んだのは、1895年、14歳のときでした。父が現地の美術学校に職を得たことが移住のきっかけで、それから約9年間をバルセロナで過ごしています。「マラガに生まれ、バルセロナで育った」と言われるほど、ピカソにとってバルセロナは第二の故郷とも言える大切な場所でした。1963年にはバルセロナ・ピカソ美術館が開館しています。
ジョアン・ミロ(1893-1983)は生粋のカタルーニャ人です。バルセロナの旧市街ゴシック地区に生まれました。カタルーニャ南部モンロッチが重要な場所となりました。モンロッチは療養によって芸術に目覚めた原点の地であり、都会の理性から離れて大地と身体的に繋がり直す制作の現場であり、《農園》という形で「原風景」として結晶した記憶の器でもあったからです。ミロは「私たちは創り人知らずの匿名性に向かう必要があると思います。古き良き時代を創ってきたのは、常に名もなき人々です」と語っています。
ミケル・バルセロ(1957~)はマヨルカ島フェラニッチ生まれです。代々「ミケル・バルセロ」の名を継いできたと伝えられる家系で、13世紀にマヨルカ島に移り住んで以来の系譜を持つのだそうです(このあたりの家系の詳細は『ミケル・バルセロの世界 形という生命/部物質と暴力』小林康夫著 未来社を参照しました)。1994年、アフリカ・マリでの滞在中にセラミックの制作を始めて以来、マヨルカ島のヴィラフランカに陶房を持ちました。2023年には信楽の陶芸家・古谷和也氏の工房で信楽焼の共同制作を行い、その作品が今回出品されています。
3者3様のセラミック
カタルーニャに縁があり、あるいはルーツを持つ3人のセラミックは3者3様ですが、のびのびしていて楽しい、というのがまず感想でした。小さなことにはこだわらない大らかさと、技巧的ではない無骨さ、荒っぽい感じ。そして動物や生き物を扱っているのも特徴です。
その中でももっとも原始的で匿名性のあるものはミロでした。ピカソは何をしてもピカソという大きなブランドを持っていて、安定・安心がある。それは見ていて「自由さ」「卓抜さ」と憎らしいくらいの巧さがあるのです。面白さはあるけれど、ピカソブランドから離れられないものもある。というのが今回感じたことです。
バルセロの出品作の陶芸3点は、信楽焼のレリーフと壺でした。他に水彩ドローイングと以前出版した画集。陶芸はガラスケースに入っていました。隣のブースでは20分のビデオ上映があり、そこでバルセロの制作風景を見られます。成型から焼成、窯出しまでの古谷氏の仕事とバルセロの制作の様子を見たあとで陶芸を見ると、窯から出したときと、こうしてガラスケースの中で「作品」として丁寧に展示しているのとでは、野性味からお化粧して人前に出た姿というか、違った顔を見られました。
バルセロは制作中イヤホンをして外界を閉ざし、耳から自ら選んだ世界に浸って手を動かしていました。ピカソの制作風景もビデオ上映していましたが、ピカソは上半身裸で、外界を開いて制作していました。背景の条件から単純に比較はできないけれど、バルセロの作品から感じる地中海的な広がりや、ミクロとマクロの視点、野性味といった印象からは想像しにくい、内省的というか人見知り?のような人柄をビデオから感じました。
ミロのセラミックは、すべてカタルーニャの陶芸家アルティガス親子との共同制作であることが紹介されています。上記の二人とは根本的に出発点が違い、異次元に映ります。それはなぜでしょうか。ミロが記号のような、サインのような不可思議な文様を記すとき、それは古代からのメッセージのようにも見えます。同時代的ではないものです。溶岩のような塊、その辺の石のような塊。何かしら象るということからさえ離れた場所にいる人。そのわからなさが異次元さを思わせるようです。
だからか、隣同士に展示したピカソからは、どこか捨てきれない生来の巧さ、デザイン性、自負、誇りがプンプンと臭ってくるような気がしました。具体的なモチーフを描いた故でしょうか、わかりやすさという点で絵の巧さが勝ってしまうからでしょうか。
皆さんは3者3様のセラミックを見て、何を感じるでしょう。
単独で見るとそれぞれが独自で、奔放さや自由さと拡がりを感じます。しかし同じ場にあると、どうしても因習的であるとか、思ったより堅いとか、それほど感じなかったものが、隣同士を見比べると浮かんでくるものです。カタルーニャという大地の大枠から生まれた作品の独自性や気概というものは、セラミックを通してますますわたしを惹きつけました。
最後に
ヨックモックミュージアムについて
会場は地下1階から始まります。真っ黒なスペースで作品にスポットライトが当てられ、そこからエレベーターで二階へ上がると、自然光の入る明るい白壁になります。白と黒の対比が洒落た会場です。ミュージアムショップと併設したカフェでは、入館特典として飲食が200円引きになります。今度来るときはあの子を誘おうかと、友人の顔が浮かびました。青山の隠れた場所にあり、平日のお昼でも待たずに飲食できるのでおすすめです。
会期:2026年2月10日(火)〜2026年12月20日(日)
⚠️月曜休館(ただし月曜が祝日の場合は翌平日)
会場:ヨックモックミュージアム(東京都港区南青山6-15-1)
開館時間:10:00-17:00 (入館は閉館の30分前まで)
入場料: ¥1,400 🈹ボーダーシャツを着ていくと200円引き。
🪞会場構成(フロア構成)と主な出品リスト
章構成(テーマ)
公式サイトの解説から、大きく3つの章立てとなっています。
第1章:ピカソとバルセロナ青春時代を過ごしたバルセロナへの協力を惜しまなかったピカソを軸に、1955年にバルセロナで開催された展覧会に出品されたコレクションと同エディションの作品、1957年にピカソ自身がバルセロナ市に寄贈した16点のセラミック、1982年に妻ジャクリーヌ・ロックが寄贈した作品などを、当時の資料とあわせて紹介する章です。
第2章:ミロとアルティガス父子スペイン内戦後、フランコ独裁体制下で活動が制限される中、陶芸家ジュゼップ・リュレンス・アルティガスとの共同制作を通じてセラミックがミロの重要な表現手段になっていった経緯を扱う章。アルティガス父子との共同制作陶器、ミロのブロンズ彫刻、父子自身の作品、当時のポスターなどが展示されます。
第3章:バルセロとマジョルカ/信楽マジョルカ島出身のバルセロが、同郷の先達であるピカソ・ミロへの敬愛と、自身の文化的背景をどうセラミックに昇華させているかを扱う章。信楽の陶芸家・古谷和也との共同制作が国内美術館初公開されるのは、この章です。
主な出品作品
現時点で報道・鑑賞レポートから作品名が判明しているものは以下の通りです(総出品点数は56点と報告されています)。
作家 | 作品名 | 制作年 | |
パブロ・ピカソ | 《仮面をつけた顔》 | 1952年 | |
パブロ・ピカソ | 《男の顔》 | 1953年 | |
パブロ・ピカソ | 《顔》 | 1960年 | |
ジュゼップ・リュレンス・アルティガス | オリーブグリーンの花瓶(無題) | ― | |
ミケル・バルセロ×古谷和也 | 共同制作陶芸作品(国内美術館初公開) | ― |
※アルティガスのオリジナル作品が国内で展示されるのは本展監修者によれば、おそらく今回が2回目とのことで、貴重な機会だと紹介されています。




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