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2026映画鑑賞レポート#04|手に魂を込め、歩いてみれば(Put Your Soul on Your Hand and Walk)

  • 2月18日
  • 読了時間: 5分

更新日:2月18日

📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。


映画『手に魂を込め、歩いてみれば』(Put Your Soul on Your Hand and Walk)

を観てきました。


本作は、2023年10月7日空爆以降、2024年4月24日から2025年4月15日までの戦争状態に置かれたパレスチナ・ガザに暮らす24歳のフォトグラファー、ファトマさんと、


イラン人のファルシ監督との約1年間にわたるビデオ通話の記録を軸に構成されたドキュメンタリーです。




ガザで生きる24歳の写真家ファトマと監督の約1年に及ぶ対話を記録したドキュメンタリー映画を鑑賞。戦争の現実、記録することの意味、人が「普通」に慣れてしまう怖さについて綴ります。
同時にイスラエル側を映した映画《ネタニヤフ調書》も公開している

レンズ越しに共有される現実


通話は英語で行われます。


二人にとって母語ではないにもかかわらず、感情や思考の深い部分まで共有されていることが伝わってきます。


セピデ監督はイラン人で、ペルシャ語、英語、フランス語、ギリシャ語、ドイツ語を話します。ファトマさんはアラビア語と英語を話しました。


二人の共通言語が英語でした。


監督は、ファトマさんの「目」や「レンズ」を通してガザの現実を外の世界へ伝えようとし、一方の彼女もまた、封鎖された土地から外界へとつながる唯一の窓として、この対話を大切にしているように見えました。


映画には、彼女自身が歩いて撮影した写真や、そのときどきの心情が語られる場面が挟み込まれます。


さらに衝撃的なのは、写真だけでなく、友人たちの姿、潜伏先、家族の笑顔、絶え間なく響くヘリコプターの音、耳をつんざくような空爆音までもがそのまま会場に流れることです。


観客は、まるで同じ空間に身を置いているかのような、強烈なリアリティを体験します。



少しずつ奪われていくもの


時間が経つにつれ、ファトマさんの様子は少しずつ変化していきます。


気力が奪われ、目の力が抜けていく。


その過程が淡々と、しかし確実に記録されていました。


明るい笑顔を見せる一方で、ふと内省的になり、視線が虚ろになる瞬間も何度も映し出されます。


それは、出口の見えない日々を生き続けることの重さを物語ります。


24時間、監視され爆音に怯えながら暮らす現実。

物資も食料も乏しく、栄養失調や飢餓の恐怖と隣り合わせの生活。


そんな中で彼女を支えていたのが、カメラでした。


自分の住む土地を、目を逸らさずに記録するという使命。


その使命は同時に、過酷な現実を真正面から受け止め続けることでもあります。


圧倒的な不条理と暴力が、生身の身体と精神を少しずつ蝕んでいく様子が、痛いほど伝わってきました。



「あなたの“普通”は、普通ではない」


2024年4月30日の会話で、ファトマさんは静かにこう語ります。


「この状況に、慣れてしまう」

「これが普通だと思ってしまう」。


それに対して監督は即座に返します。


「あなたの“普通”は、普通ではない」。


このやり取りは、とても象徴的でした。


極限状態の中で、人は異常を日常として受け入れてしまう。そのこと自体が、すでに暴力の結果なのだと突きつけられる瞬間でした。



「今しかない」


6月10日には、イスラエル軍がすぐ隣の街まで迫ってきていることが語られます。


彼女は淡々と、「ふざけたみたいに破壊している。小さなものから大きなものまで奪っていく。お金、お菓子、料理、伝統」と話します。


そしてこう続けます。


「今しかない。今こそ、この戦争を撮って世界に見てもらう必要がある」。

避難のため住居を移動しながら、それでも彼女はカメラを手放しません。


記録することが、自分に残された唯一の抵抗であり、生の証だったからです。


7月9日、18日頃になると、彼女の表情は明らかに変わっていきます。

笑顔は減り、身体の怠さや栄養不足を訴え、ぐったりとした様子が増えていきます。


それでも彼女は、外に出るとき必ずこう言います。


「通りに出るときは、手に魂を込めて歩いている」。

彼女にとってカメラは。

戦争の真実を語るための“武器”であり、「できる限り公開して、人の心を揺さぶりたい」


「これを撮るのはわたししかいない」。


不在として残るもの


一方、監督は離れた場所から、祈るように電話をかけ続けます。


彼女の生存を確かめ、言葉で励まし、笑顔の奥にある疲弊を感じ取りながら声を引き出そうとする。


その間も監督は複数の国を行き来しつつ、通話を止めることはありませんでした。


やがてこの作品はカンヌ映画祭への招待が決まり、その知らせが彼女にも伝えられます。


しかしその後、彼女は空爆によって、家族とともに命を落としました。


2024年4月15日が、監督との最後の会話。

その翌日、4月16日の深夜(未明)のことでした。


約1年にわたり私たちが見た彼女の声と存在は、突然、空白になります。


観客は作品を観ていたのではなく、ひとりの人間の時間を一緒に生きていました。

その喪失によって初めて気づかされます。



おわりではない


映画を観終えたあと、自分が日常として見ている街の風景が、ある日突然、瓦礫の山に変わってしまう可能性を強く意識するようになりました。


鑑賞後の1週間ほどは、不安と恐怖、そして言葉にならないざわつきが続き、落ち着かない状態が続き、今でも鮮明にあのがれきの白い山が蘇ります。


この映画は、遠い場所の出来事ではなく、「私たちの世界の延長線上にある現実」を、極めて生々しく、確実に突きつけてきます。



つづく


この映画の公開中にファトマ・ハッスーナさんが撮影し、劇中にも登場した数々の写真をピックアップした写真展にも行って来ました。


この様子はまた後日このブログでご紹介します。


💬2025年製作|113分|フランス・パレスチナ・イラン合作

BASEでは2026年カレンダーやポストカードやドローイング作品を取り扱っています。是非一度ご覧になってみてくださいね。


🚩2月17日更新📝【note:もうひとつのブログ】

noteではWixブログで書いた内容を、読みやすくわかりやすいテキストにしています。

写真を交え、わたしのアートについて発信しています。こちらも是非楽しんくださいね。

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