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2026映画鑑賞レポート#02|アニキ・ボボ ANIKI BÓBÓ

  • 2月4日
  • 読了時間: 10分

📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。


某日、映画を観てきました。


作品は、ポルトガルの映画監督マノエル・ド・オリヴェイラのデビュー作『アニキ・ボボANIKI BÓBÓ』。


1942年、ポルトという町で撮影されたモノクロ映画です。



💬アニキ・ボボ ANIKI BÓBÓ |1942年|ポルトガル|72分|モノクロ



1942年ポルトで撮影されたマノエル・ド・オリヴェイラ監督のデビュー作『Aniki-Bóbó』。子どもたちの視線から社会と権威を静かに描く、ネオ・リアリズムの先駆的作品を鑑賞レポートとして綴る。
ポルトガルの巨匠オリヴェイラ監督のデビュー作。

なぜ今、この映画なのか


なぜ今、日本でこの映画が上映されているでしょうか。


それは、2024年から2025年にかけて行われているオリヴェイラ監督特集上映やポルトガル映画祭、そしてデジタルマスター版によるリバイバル公開という流れの中に、この作品が位置づけられているからです。


近年、4Kレストアなどの修復技術によって、かつてリアルタイムでは観ることができなかった古典映画が、驚くほど美しい光と影を携えて、私たちの前に現れています。


本作もまた、その恩恵を受けた一本でした。


1942年ポルトで撮影されたマノエル・ド・オリヴェイラ監督のデビュー作『Aniki-Bóbó』。子どもたちの視線から社会と権威を静かに描く、ネオ・リアリズムの先駆的作品を鑑賞レポートとして綴る。
”いつも正しい道を進め”

チラシに写る、少年のまなざし


まず印象的だったのは、映画のチラシです。


少しむすっとした表情でこちらを見つめる少年。


頭には、新聞紙で作られた帽子のようなものをかぶっています。


この帽子が何を意味するのかについては、ブログ最後にコラムとして掘り下げて書いています。


ご興味ございましたらそちらも、お読みください。



子どもたちの「演技ではない」存在感


この映画は、ポルトの実際の街を舞台に、子どもたちの日常を描いています。


最初は、子どもたちの動きや仕草に、どこかぎこちなさを感じました。


指示されたことを一生懸命に再現しているようにも見えたからです。


しかし後で知ったのですが、彼らは子役ではなく、演技の訓練を受けたことのない子どもたちでした。


そう思って改めて振り返ると、その不揃いさやぎこちなさこそが、生き生きとした現実そのものだったのだと感じます。


町を駆け回り、川に飛び込み、喧嘩をし、大人に怒鳴られながらも動き続ける子どもたち。


その姿は、作られた物語というよりも、そこに「在った時間」を覗き見ているようでした。



あらすじ:小さな盗みから生まれる緊張


1942年ポルトで撮影されたマノエル・ド・オリヴェイラ監督のデビュー作『Aniki-Bóbó』。子どもたちの視線から社会と権威を静かに描く、ネオ・リアリズムの先駆的作品を鑑賞レポートとして綴る。
チラシより
物語は、ドウロ川近郊に暮らす少年たちを中心に進みます。内気なカルリートスと、恐れを知らぬリーダー格のエドゥアルド。

二人は、グループで唯一の少女テレジーニャに恋をしています。

ある日、カルリートスはテレジーニャが欲しがっていた人形を盗み、彼女にプレゼントします。

その出来事をきっかけに、少年たちの関係に緊張が生まれ、カルリートスは仲間外れにされてしまいます。
この小さな出来事が、彼らの世界の秩序を静かに揺るがしていきます。



ネオ・リアリズムの先駆けとして


1942年に制作された本作は、後にイタリアで展開されるネオ・リアリズムを先取りした作品として位置づけられています。


ネオ・リアリズムとは、映画セットや職業俳優によって作り込まれた世界ではなく、


  1. 実際のロケ撮影 - ポルトの街並みで撮影

  2. 非職業俳優の起用 - 子どもたちを主役に

  3. 労働者階級の描写 - ドキュメンタリー的アプローチ

  4. 社会的リアリティ - 貧困や独裁下の社会状況を描写


など、現実の生活をそのまま映画に持ち込む試みです。


そのため、本作は当時のポルトガルでは商業的な成功を収めることができませんでした。


しかし、だからこそ今、80年以上の時を経て、その詩的な現代性が再評価されています。



大人の不在と、視線の構造


映画には大人も登場します。


店主、教師、警官など、主に男性の姿が描かれますが、女性としては、テレジーニャと主人公の母親のみが登場します。


しかも母親は後ろ姿だけで、顔は映されません。


子どもたちは、とにかくよく怒られます。


「クソガキ」と罵られながら、それでも町を走り続ける。


その姿からは、大人の規範や権威が、いかに一方的に子どもたちに降りかかっているかが浮かび上がります。



1942年という時代の影


1942年当時、ポルトガルは第二次世界大戦下で中立国ではありましたが、国内はサラザール独裁体制のもとにありました。


政治的抑圧や検閲が行われ、軍部、地主、資産家、教会を基盤とした体制が確立されていた時代です。


映画の中には、こうした社会状況への暗黙の批判が込められているように感じられます。


それは、直接的な言葉ではなく、子どもたちの遊びや関係性の中に滲み出ています。



「Aniki-Bóbó」という言葉と、一瞬のきらめき


「Aniki-Bóbó」という言葉自体に、特別な意味はありません。


鬼決めの数え歌のように使われる、子どもたちの遊びの言葉です。


警察と泥棒のごっこ遊びを通して、大人たちの社会が戯画化される一方で、印象的な台詞が登場します。


私たちは皆友達だ。人生において争いは無駄だ。

この言葉によって、子どもたちの表情がふっと緩む瞬間があります。


それは、大人を信頼する可能性が、かろうじて残されている一瞬でもありました。



観終えて


この映画を観て、月並みな言葉ですが、心から「よかった」と思いました。


時代背景を知るうえでも、また、理想化されていない子どもと大人の姿を、淡々と、しかし美しく描くという点においても、とても貴重な作品だと感じます。


作り込まれた理想ではなく、揺らぎや未完成さを抱えたまま存在する人間たち。


その姿を見つめる時間は、静かで、深く、豊かなものでした。


2024年から2025年にかけて、オリヴェイラ監督の特集上映や「ポルトガル映画祭」などの枠組みでデジタルリマスター版がリバイバル公開されています。

📌〈会員さま向け(無料)コラム〉


映画の中の小さな違和感について


ここから先は、映画を観ていて特に引っかかった二つの点について、少し踏み込んで書いてみたいと思います。

ネタバレというほどではありませんが、より細部に目を向けた内容になるため、会員さま向けの補足として記します。



記事の続きは…

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