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「人はなぜ忘却に抗うのか」「物語はどこに刻まれるのか」——1月後半の読書から

  • 1月30日
  • 読了時間: 6分

📍いつもブログを読んでくれてありがとうございます。


今日は、1月後半の読書から、皆さんにご紹介したい本を3冊お話ししたいと思います。


この3冊は、前半に読んだ作品と、どこか似た方向性を持っているようにも感じています。


それはおそらく、意図や暴力、忘却、そして遅さといったテーマを、私自身が無意識のうちに本の中に見出していたからかもしれません。


💬2026年1月前半の読書記録。


忘却に抗う行為、地図に刻まれる暴力、日常がずれる一瞬。 1月後半に読んだ3冊の本を通して、物語と記憶、身体的な行為がどのように交差するのかを考える読書記録。
孤独と忘却への抵抗『忘却についての一般論』

1冊目

ジョゼ・エドゥアルド・アグルーザ『忘却についての一般論』


1冊目は、ポルトガル語圏の作家、ジョゼ・エドゥアルド・アグルーザによる

『忘却についての一般論』です。


この作品の主人公は、アンゴラ独立戦争とその後の混乱を恐れ、自宅の入口をレンガで塞ぎ、28年間引きこもって生きる女性・ルドです。


彼女が築いた「壁」は、外部の暴力から身を守るためのものですが、同時にそれは、歴史から自らを切り離すための忘却の壁でもあります。


自分を守るために選んだ行為が、結果として「忘れられる側」になることを引き受けてしまう、その二面性が印象的です。


外に出られず、やがて紙もインクも尽きたとき、彼女は家の壁に詩を書き始めます。


それは、言葉にならない祈りであり、自分の痕跡を残す行為であり、何よりも自分を見失わないための生存行為のように思えました。


何もない場所にサインのように言葉を残すことで、人間の最後の尊厳や存在意義、そして「確かに生きていた」という証明へとつながっていく。


自らを救済していく物語です。


💬壁の中に閉じ込めた「世界」 ―― ジョゼ・エドゥアルド・アグルーザ『忘却についての一般論』


忘却に抗う行為、地図に刻まれる暴力、日常がずれる一瞬。 1月後半に読んだ3冊の本を通して、物語と記憶、身体的な行為がどのように交差するのかを考える読書記録。
国家と個人の衝突、建築『地図と拳』

2冊目

小川哲『地図と拳』


2冊目は、小川哲さんの『地図と拳』です。


640ページ超の、とても分厚い作品です。


舞台は、かつて存在し、今は地図の上にしか残っていない「満州」。


この作品は、その場所をめぐる壮大な年代記となっています。


地図とは、客観的な記録ではなく、支配者の意思が引いた境界線です。


人々が地図という模型を使って世界の運命を操作しようとした、その虚構が描かれています。


多くの死者、多くの陰謀、そして夢が重なり合うこの物語は、

過去だけでなく、現在やこれからとも強く結びついています。


私たちが生きている世界が、どれほど膨大な記憶と積み重ねの上に成り立っているのかを突きつけられるようでした。


タイトルにある「拳」は、地図を引く背後にある、暴力、陰謀、期待、希望といった複雑な意図を象徴しているように思います。


拳によって領土を広げ、あるいは奪われていく、その現実が強く刻まれる作品です。


💬存在しない都市を「現出」させる ―― 小川哲『地図と拳』



忘却に抗う行為、地図に刻まれる暴力、日常がずれる一瞬。 1月後半に読んだ3冊の本を通して、物語と記憶、身体的な行為がどのように交差するのかを考える読書記録。
日常の微かな変容『針がとぶ』

3冊目

吉田篤弘『針が飛ぶ』


3冊目は、少し前の2作とはテイストが異なる作品、吉田篤弘さんの『針が飛ぶ』です。


このタイトルを聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。


私は刺繍の糸と針を連想したのですが、読み進めると、この「針」はレコードの針であることが分かります。


何気ない日常の中で、ふとレコードの針が飛ぶように、世界の時間がずれる瞬間。その感覚をモチーフに描かれた作品です。


上の2作と比べると、とても静かで、淡々とした時間が流れていきます。


読むことで、自分の生活の速度を少しスローダウンさせてくれるような、穏やかな文体が印象的でした。


日常のすぐ裏側にある、不思議な静けさ。


失われたもの、最初からなかったかもしれないもの。


誰かの記憶や、誰かが生きてきた時間を、現在の私たちが辿り、発見していく。


空白を埋めるというより、空白を自分の中に引き受けるような言葉が、この作品にはあります。


誠実で丁寧な言葉選び、静かな語り口は、読者の心の中に「居場所」や「椅子」を用意してくれているようです。


それは、先日見たハンス・J・ウェグナーの椅子のように、座り心地のよい作品だと思いました。


💬日常の「溝」を愛おしむ ―― 吉田篤弘『針がとぶ』



おわりに


今回取り上げた三つの作品は、一見すると語り口もスケールも異なりますが、並べてみることで、いくつかの明確な「補助線」が浮かび上がってきます。


作品名

核心となるテーマ

アート体験との接点

『忘却についての一般論』

孤独と忘却への抵抗

お針子の「祈り」と「規律」

『地図と拳』

国家と個人の衝突、建築

ウェグナーの「構造」と「態度」

『針がとぶ』

日常の微かな変容

応為が捉えた「光と影」のあわい


まず、『忘却についての一般論』。


ここで描かれるのは、孤独と忘却に抗うために、壁に言葉を刻み続けるという行為です。


それは、私自身が制作の中で繰り返してきた針と糸を動かす行為とも、静かに重なって見えました。


ただしそれは、「祈り」や「規律」といった安定した意味を伴うものではありません。


むしろ私は、針と糸にある種の暴力性を感じています。


貫くこと。

穴をあけること。

固定すること。


そこには、守りや慰めというよりも、緊張やためらいを含んだ身体の動きがあります。


それでもなお、言葉を刻み続ける彼女の行為と、

私が針を進める手の反復は、

自分がここに存在していることを失わないための切実な行為として、どこかで響き合っているように感じられました。


次に、『地図と拳』。


この作品が描くのは、国家と個人の衝突、そして建築や地図といった構造が人間の生を規定していく暴力性です。


そこには、ヴェグナーの家具が持つ「構造」と「態度」——人間の身体と空間の関係をどう設計するのかという問いとも通じるものを感じました。構造は決して中立ではなく、常に意志を含んでいます。


一方、『針が飛ぶ』は、日常の中に生じるごく微かな変容を丁寧にすくい取ります。


レコードの針が飛ぶ一瞬のずれは、光と影のあわいを捉える応為の眼差しと重なり、私たちが見過ごしがちな「時間の綻び」を可視化します。


三作を通して浮かび上がるのは、忘却、暴力、孤独といった重いテーマでありながら、それらに対抗する手段としての行為や感受性のあり方です。


文学とアートは、それぞれ異なる方法で世界を切り取りながらも、最終的には同じ地点——生きることの手触りへと、私たちを導いてくれるのだと感じました。



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