空白は「描かない」ことで生まれない|展覧会から得た制作の転換点
- 2月19日
- 読了時間: 3分
📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
某日、ある展覧会を観ました。
そのとき、以前書いた「空白を描く文章を書けたらいいな」というテキストのことを思い出しました。
あのとき私は、「文字によって空白を描くとはどういうことか」を考え、
塗り残しや、何も描かれていないキャンバスのような状態で表されるのではないか、と書いていました。
💬ブランクを書けるように、なりたい。

「線によって空白を描くということ」
けれど今感じていることは。
何も書かれていないキャンバスや、手つかずの状態を示すことは、「空白を書いた」ことにはならない。
なぜなら、ある展覧会で、黒い線によって空白そのものを描いている作品を目の当たりにしたからです。
空白さえも描く。
空白という状態を、線によって立ち上げてしまう。
それが可能なのだということを、ありありと見せつけられました。
描けないものはない。
なんでも描いてしまう。
画家の筆は、まるで文字のように、空白という状態さえ描けるのだと知りました。
つまり、「描く」とは、描かないことによって空白を残すことではありません。
手を付けずにおくことでもありません。
そうではなく、何かをすることによって、空白という状態を浮かび上がらせる行為なのではないか。
「空白を描く、という制作の転換点」
私たちは、何かを行うことで、何かを用いることで、「何もない」という感覚や、虚無、空白、言葉にならない人々の気持ち、喜びや悲しみといった、名づけられないものを引き出しています。
あるいは、そうした状況そのものを開いているのかもしれません。
作家とは、そういうことをしている存在なのではないかと感じました。
私自身も作品をつくる者として、物理的に「何もしない」ことで空白をつくるのではなく、何かをなすことによって、描かれないもの――声にならない声のようなもの――を描き出す努力をしなければならないと感じています。
これは、これまで考えてきた方向とはかなり違う、大きな方向転換かもしれません。
けれど、読書をし、作品を観る中で、実感として掴んだ制作のひとつの方向でもあります。
そして「手の入れよう」。
これまでの感覚的な制作や、今までやってきたことだけでは太刀打ちできないものを、あえて取りに行く。
自分からそこへ向かっていく。
今、自分の作品は、そういう姿勢から進めています。
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2月17日更新📝【note:もうひとつのブログ】
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