創作メモ|“考えること”も作品になる?:描かない制作について
- 11月18日
- 読了時間: 3分
📍最近、制作についてメモを重ねていくなかで、「描かない制作」や「手を動かさない創作」というテーマが自分の中に浮かんできました。
「「描かない絵」について書いた最初のノート

絵を描くことを中心にアートを考えてきた私にとって、紙やキャンバスに向かって手を動かす行為は創作そのものの象徴でした。
でも、もし手を動かさないとしたら?
作品に触れず、何も描かず、ただ考えるだけだとしたら?
考える時間も“制作”であるという気づき
そのとき、ふと気づいたのです。
“考えること”や“想像すること”も創作の一部ではないか。
むしろ、作品の最初の芽は、いつも手の中ではなく、頭の中から始まっているのではないか。
たとえば、展覧会の会場をイメージする。
そこにどんな空気が流れ、作品がどの位置に置かれているか、観客がどう動くか。
何もかたちにしていなくても、想像の中ではすでに展覧会が始まっています。
その時間は、手を動かす制作と同じくらい濃い。
また、素材や技術をどう扱うか悩む時間も、実は“制作”の一部です。
「絵は上手い人が描くもの」「技術がある人が作品をつくるもの」という固定観念がいまだ自分の中にあるけれど、その枠にとらわれている限り、新しい表現には辿り着けません。
だからこそ、“技術”の外側にある“思考そのもの”を作品に近づけてみたいという欲求が、最近とても強くなっています。
技術や手の動きに頼らない表現の可能性
前回の個展では、自分にしっくり来る表現として墨のドローイングがありました。
でも、そこに安住してしまえば、表現の幅は狭くなる一方です。
「今あるものを深める道」と「全く異なる方向へ逸れる道」。
この二つを同時に持ち続けることが、自分の制作を長く続けていくための支えになると感じています。
形にならないアイデアも立派な創作の一部
そしていま、頭の中にあるだけで、まだ手を動かしていないアイデアがいくつもあります。
それらは未完成ではなく、むしろ“芽のまま存在している作品”とも言えるのかもしれません。
制作という行為を「物質をつくること」だけと捉えない。
思考や想像のプロセスそのものもすでにアートである。
そう考えることで、自分の中にある可能性の扉が少し開いた気がしています。
これからの「描かない制作」へ向けて
この先、形にならない表現や、展示の仕掛け、空間をどう扱うかといった“描かない制作”へ、もう少し踏み込んでみたい。
今はまだぼんやりした霧の中にあるけれど、その霧の濃淡を眺めている時間すら、創作の一部だと感じています。
【BASE:オンラインショップ】
BASEではポストカードやドローイング作品を取り扱っています。是非一度ご覧になってみてくださいね。2026年のカレンダーを販売します。
【note:もうひとつのブログ】
noteではWixブログで書いた内容を、読みやすくわかりやすいテキストにしています。
写真を交え、わたしのアートについて発信しています。こちらも是非楽しんくださいね。






コメント