見てもらうということ:作品が交わる二つの世界
- 11月12日
- 読了時間: 3分
作品は、誰かの手に渡った瞬間から新しい物語をはじめます。
その行方は作り手の意図を離れ、異なる場所や言葉の中で息づいていきます。
今日は、「見てもらう」という行為の中にある怖さと喜びについて考えました。

作品が他者に届くということ
最近、知人の作品を購入された方が、その作品について記事を書かれているのを見つけました。
拝見すると、やはり知っている作家の方のものでした。
誰かが作品を購入し、そこからさらに文章というかたちで感想や思考が広がっていく——その循環を感じ、とても嬉しく思いました。
見てもらう瞬間の緊張と喜び
作品をつくるうえで、もっとも緊張するのは「人に見てもらう」瞬間です。
どれほど制作過程を公開していても、実際に作品を前にして対峙してもらうこととはまったく別の経験になります。
その場で作品がどう受け取られるのか、どんな感情を呼び起こすのか。
それはコントロールできない領域であり、同時に、制作を続ける理由のひとつでもあります。
オンラインではドローイングや制作工程を記録として発信していますが、やはり本質的な出来事は、実物の前で起こるものです。
作品と観る人との間に生まれる、言葉にならない時間や沈黙。
それが、私にとってもっとも重要な瞬間だと感じます。
国内と海外、二つの発信がもたらす視点
海外向けの発信をしていたFacebookやInstagramは、広い視野と新しい反応に出会える貴重な機会です。
文化や言語の違いを超えて、自分の作品がどのように受け取られるかを知ることは、思考を拡げる経験になります。
一方で、国内向けに書くときは、自分の言葉の響き方をより丁寧に感じ取りながら、深く掘り下げることができます。
どちらにも異なる良さがあり、それぞれの場所で作品が息づいているという感覚があります。
制作を支える日々の小さな前進
今日もブログを書きながら、前に進んでいるのか、それとも別の方向へ曲がっているのか、自分でもわからなくなる瞬間があります。
けれど、制作というのは常にそのような曖昧さの中にあるものかもしれません。
大切なのは、後悔なく一日を終えられること、そして心の状態をなるべく健やかに保つこと。
その積み重ねの中にしか、作品を生む力は宿らないのだと思います。
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