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2026展覧会レポート#15|大西茂 写真と絵画

  • 20 時間前
  • 読了時間: 9分

📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。


某日、東京ステーションギャラリー「大西 茂 写真と絵画」展へ足を運びました。


大西茂、1928〜1994。

相数学(トポロジー)を応用した独自の方法論で写真と絵画による表現を探求し、「存在が成立する瞬間」を追い続けた。


ニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵され、ヨーロッパで個展を開きながら、日本ではほぼ無名のまま岡山で没す。


東京ステーションギャラリーで開催中の日本初回顧展を訪れ、その思想と限界、そして「もし平面にこだわらなかったら」という問いを考えました。


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数学者にして視覚芸術家・大西茂の日本初回顧展レポート。位相数学「超無限」と写真・墨画の関係、アンフォルメルの旗手でありながら国内で無名だった理由、そして「作品を作らなかった」孤高の思想を読み解きます。
2026年|「大西 茂 写真と絵画」|東京ステーションギャラリー

観に行きたいと思った理由


岡山県生まれの大西茂は、北海道大学で数学を研究する傍ら、位相数学(トポロジー)を応用した独自の造形を追求しました。日本の美術館では初の回顧展とのことです。


写真と絵画の双方を制作し、モノクロ写真をコラージュのように構成した作品や、墨による抽象画も展示されています。


先月見た「アンチ・アクション彼女たち、それぞれの応答」展で触れた、ミシェル・タピエが提唱したアンフォルメルの潮流。その時代背景の中で、大西の絵画はタピエに見出され、紹介されました。


アンフォルメルの男性的な身振りやアクションという文脈の中で、大西の作品がどのように位置づくのか。その視点からも見てみたい。


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大西茂とは――略歴と作品の特徴


大西茂(1928〜1994)は岡山県高梁市に生まれた、数学者であり視覚芸術家です。

北海道大学理学部数学科を卒業後、位相数学(トポロジー)を基礎に「超無限の研究」と名付けた独自理論を追求し続けました。


一方で1950年代から写真表現を独学で始め、1955年に東京・なびす画廊で初個展を開催。批評家の瀧口修造らに注目されます。その後、墨による抽象絵画に転向し、フランスの批評家ミシェル・タピエに見出されて「アンフォルメル」の旗手としてヨーロッパに紹介されました。

しかし世事と名声を意識的に避け、岡山で孤高の制作と研究を続けたまま1994年に没します。近年になって欧米のキュレーターたちが再評価を進め、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が写真作品を収蔵。海外での個展実績を経て、日本の美術館では初となる回顧展です。


写真作品の特徴は、多重露光・ソラリゼーション(白黒の反転)・刷毛による不均一な現像処理など、実験的な暗室技法を重ねた点にあります。写真がリアリズムやジャーナリズムの道具とされていた時代に、存在が固まる「手前」の状態を捉えようとした、きわめて異質な仕事でした。


絵画作品の特徴は、長辺2〜3メートルに及ぶ大型画面に墨で描いた抽象画です。縦横無尽に走る線と面が激しいエネルギーを放ち、東アジアの書法的な身体性とアンフォルメルの衝動が交差しています。


鑑賞前わたしは、アンフォルメルの男性的な身振りやアクションという文脈の中で、大西の作品がどのように位置づくのか。その視点からも見てみたい。と書きました。


これは、アンフォルメルやアクション・ペインティングは、1950〜60年代において非常に強く「男性的な身振り」と結びついた表現だったからです。ジャクソン・ポロックがキャンバスに絵具を叩きつけ、フランツ・クラインが巨大な黒い筆致を叩き込む――その行為の激しさ、肉体性、支配的なエネルギーこそが作品の価値と見なされた時代です。


タピエが世界中を探し回ったのも、そうした「力強い身体の痕跡」を体現するアーティストでした。

大西の墨画は、画面のスケールや線の勢いという点では、たしかにその文脈に重なります。しかし実際に作品の前に立つと、激しさとは言えないたゆたうような揺らぎや柔らかさがあるのです。

それはおそらく、大西にとって墨を引く行為が「感情表現」ではなく、「超無限という命題を検証する」行為だったからではないでしょうか。アクション・ペインティングの作家たちが自我の爆発を画面に刻んだとすれば、大西の身振りはもっと非人称的です。主語が「私」ではなく「変化の過程そのもの」とでも言うような揺らぎが、動き回る線の背後に漂っています。


同時代の白髪一雄が足で絵を描くことで「身体と絵具の格闘」をそのまま作品にしたのとも また違います。白髪の身体は全面的に主張します。 同じく墨を使いながら、書の文字を極限まで解体した井上有一の仕事も想起されます。 井上の身体は「文字という意味の器を破壊する」ために全力で動員されていました。


白髪が身体の格闘を、井上が意味の解体を目的としたとすれば、 大西の身体はどこまでも命題の「媒介」にとどまっています。 三者を並べたとき、大西の非人称性と静けさは、ひときわ際立って見えます。


アンフォルメルの男性性という外枠、その内側では自我の主張とは正反対の運動が起きていました。大西の墨画の奇妙な揺らぎは、そこから来ているのかもしれません。そしてその「ずれ」もまた、彼が同時代の美術界に完全には接続されなかった理由のひとつなのかもしれません。


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鑑賞後いくつかの気になったこと


① 位相数学(トポロジー)とは何か。

② トポロジーは作品にどう現れているか。

③なぜ国内ではそれほど知られなかったの。

④墨と 絵画と写真の距離について――なぜこれほど表現が違うのか。

⑤半紙という素材について――なぜ他の画材に転換しなかったのか。

⑥「作品を作っていない」という宣言が示すもの――もし平面への定着にこだわらなかったら?


このうち③、④、⑥について考えてみます。


なぜ国内ではそれほど知られなかったのか


大西はタピエに見出された後も岡山を離れず、美術界での人脈形成や自己宣伝を意識的に避け続けました。


「目標は世に云うところの芸術や宗教ではありません。」

と本人が語っていたことからも、名声への無関心は徹底していました。

加えて、数学・写真・絵画を横断する複合性が、どのジャンルの展覧会にも組み込みにくい構造的な問題を生みました。写真史からも絵画史からも零れ落ちてしまう、というわけです。

アンフォルメルが日本に流入した1950〜60年代、その受容は主として東京の画商・批評家・美術市場のネットワークを通じて行われました。そのネットワークから物理的に距離を置いた大西には、組み込まれる機会がほとんどありませんでした。


2010年代以降、欧米のキュレーターが大西を「発見」し、MoMA収蔵・海外個展という実績が先行しました。この「逆輸入」型の再評価は、欧米の権威づけを経て初めて国内の評価機関が動き出すという、日本の美術界の構造をそのまま映しています。



墨と 絵画と写真の距離について――なぜこれほど表現が違うのか


鑑賞を通じて最も印象的な違和は、写真と墨画の表現があまりにも「別人の仕事」に見える、という点でした。

その理由はいくつか重なっています。


まず起源の違いです。写真は1950年代に数学研究の「視覚的実験」として始まり、いわば数学の延長として出発しました。墨絵への転向は1960年代以降、タピエとの接触やアンフォルメルとの共鳴の中で生まれたもので、動機がそもそも異なります。


次に身体性の違いです。写真は暗室という閉じた空間での化学・光学的操作であり、作家の身体は間接的にしか関わりません。墨絵は全身を使った直接的な物理行為です。


さらに時間軸の違いです。写真は1950年代に集中し、絵画は1960〜90年代に展開します。同時並行ではなく、ある意味で「別の時期の別の大西」の仕事が並置されているとも言えます。大西は写真と絵画を「同一の数学的命題に向かう異なる方法」として内的には統合していたと思われます。しかし鑑賞者の目には、その統合は概念のレベルにとどまり、視覚言語としては大きな断絶として映りました。


墨絵に関して、ヨコに展開した大型の作品より掛け軸やタテ型の作品が墨絵としてバランスが取れていました。ヨコサイズである必要があったのかどうか。

それはわたしが日本人で墨に半紙で書かれたものをタテに見ることに慣れてしまっているからこその違和だったのでしょうか。



「目標は世に云うところの芸術や宗教ではありません。」という宣言が示すもの――もし平面への定着にこだわらなかったら?


大西は「目標は世に云うところの芸術や宗教ではありません。」と語っていたといいます。これは正直な自己認識だったと思います。


写真も墨画も、彼にとっては「超無限という命題の実験ログ」であり、鑑賞者のための「完成された作品」ではなかったのでしょう。


ここで言う「超無限」とは世界を成り立たせている根源的な条件、世界の始原的な状態のことです。


多重露光の写真を空間に投影・重層させるインスタレーションにすれば、「存在が成立しつつある状態」はずっとダイレクトに体験できたはずです。墨を引く身体行為そのものをパフォーマンスとして提示すれば、半紙の脆弱さはそもそも問題になりません。変化の「過程」を見せることは、同時代のフルクサスやコンセプチュアルアートが向かっていた方向とも完全に一致していました。


同じ1960年代、草間彌生は平面から空間・身体へと拡張し、白髪一雄は足で絵を描くことで身体行為の記録を作品化しました。大西がやろうとしていたことは概念的にはずっとラディカルでしたが、方法論が「平面への定着」という枠から出られませんでした。


わたしは時勢へ融合するのではなく、時勢を動かすところの精神の躍動を引き起こす根源への前進を続けるでありませう。

岡山という地理的孤立と、数学研究者という自己定義が、同時代の美術動向との接触を遮断し続けたのではないかと思われます。



おわりに


1960年代以降の現代アートは、「何が芸術か」「作品とは何か」「作家の自我はどこにあるか」を根本から問い直しました。コンセプチュアルアート、プロセスアート、インスタレーション――それらはすべて「完成された美しい物を作る」ことへの懐疑から生まれています。大西は美術運動として意識的にそれをやったわけではなく、数学の命題を追う中で、結果として同じ場所に到達していた。そこにこそ、彼の仕事の孤高と先鋭性があると思います。


大西の思想は現代アートの問いそのものでした。

しかしその器が20世紀前半の素材と形式に留まりました。


しかしそこに、最大の「もったいなさ」があったのではないでしょうか。

もし大西が「平面への定着」という枠組みを超えていたら。


そんな想像を巡らせたのでした。


会期:2026年1月31日(土) - 3月29日(日)

会場:東京ステーションギャラリー

開館時間:10:00 - 18:00

入場料:1,300円



BASEでは2026年カレンダーやポストカードやドローイング作品を取り扱っています。是非一度ご覧になってみてくださいね。


🚩3月6日更新📝【note:もうひとつのブログ】

noteではWixブログで書いた内容を、読みやすくわかりやすいテキストにしています。

写真を交え、わたしのアートについて発信しています。こちらも是非楽しんくださいね。


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