「人はなぜ交差し、すれ違い、言葉を探し続けるのか?」-2月前半の読書から
- 2月15日
- 読了時間: 4分
更新日:4 日前
📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
今日は、2月前半の読書から、皆さんにご紹介したい本をお話ししたいと思います。
偶然と必然、言葉、そして「創作の条件」について書かれた本です。
今回はこの3冊。
・エルサレム(ゴンサロ・M・タヴァレス)
・地球にちりばめられて(多和田葉子)
・自分ひとりの部屋(ヴァージニア・ウルフ)
💬これまでの読書についての記事はこちらから

偶然と必然が交差する世界──『エルサレム』
まずはゴンサロ・M・タヴァレスの『エルサレム』から。
この作品はポルトガル国内外で高く評価され、ノーベル文学賞作家のジョゼ・サラマーゴが
「彼はノーベル賞を取るだろう。しかしその時、私はもうこの世にいないだろう」
と語ったとも言われています。
物語は複数の登場人物の人生が、ある時点で交差していく群像劇(ensemble drama)の形をとっています。
一人ひとりは孤立しているようで、全体として見ると確かにつながっている。
登場人物たちはそれぞれ、身体的・精神的な問題や、言葉にならない衝動を抱えて生きています。
時間も一直線ではなく、過去と現在、時には未来の視点が入り混じりながら
展開していきます。
読んでいるうちに、
もし、どこか一つでも歯車が違っていたら。
もし、ほんの小さな選択が別だったら。
そんな「可能性の連鎖」を考えずにはいられませんでした。
偶然のようで必然的な出来事、生まれる前から決まっていたかのような時間の流れ。
重層的で、読み応えのある一冊です。
英米文学とは異なるヨーロッパ文学の奥行きも感じられ、ポルトガル文学を初めて読む方にも読んでもらいたい作品です。
💬『エルサレム』では「運命の一晩」と登場人物たちの過去が入れ子状に語られる構造が特徴。

言葉が人を復活させる──『地球にちりばめられて』
次は多和田葉子さんの『地球にちりばめられて』。
国や言語の境界が揺らぐ現代において、誰もが「移動する存在」になり得ることを描いた作品です。
6人の登場人物それぞれの視点で物語が進み、章ごとに語り手が変わる構成になっています。
言語、国籍、アイデンティティ。
重たいテーマを扱いながらも、言葉遊びや語源へのまなざしが随所に散りばめられ、言葉そのもののきらめきを味わえる読書体験でした。
多和田さんの言語感覚はとても鋭く、「この一文は他の誰にも書けない」と感じる瞬間が何度もあります。
若い登場人物たちが国境を越えて軽やかに移動していく点も冒険譚のようで、入口は意外と広い作品だと感じました。
三部作なので早く次を読みたくてたまりません。
著者・多和田葉子さんは、ドイツ在住で日独2言語で執筆する小説家・詩人です。
近年ノーベル文学賞の有力候補として、村上春樹らと共にヨーロッパのブックメーカーなどで名前が挙がっている作家です。
💬三部作の第一弾。続編は『星に仄めかされて』(2020年)、完結編は『太陽諸島』(2022年)

創作と生活の条件──『自分ひとりの部屋』
最後はヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』。
1928年の講演をもとに書かれたこの本は、
今なお読み継がれているフェミニズム批評の古典です。
ウルフが示したのは、
・自分ひとりの部屋
・自分自身のお金
この二つが、創作には不可欠だということ。
現代でもその本質は変わっていないと感じます。
ただ、今は経済状況もより複雑で、生活を支えながら創作の時間と空間を確保することは、簡単ではありません。
部屋があっても足りない。
できれば家一軒ほしい、と思ってしまうほど、制作環境を整えること自体が大きな仕事です。
読んでいて、創作と生活の現実的な距離について、あらためて考えさせられました。
おわりに
2月前半は、この3冊が強く心に残りました。
いずれも、
・複数の声
・非線形の時間
・アイデンティティや言語への問い
といった、現代文学の大きな流れを感じさせる作品です。
もし気になる一冊があれば、ぜひ手に取ってみてくださいね。
BASEでは2026年カレンダーやポストカードやドローイング作品を取り扱っています。是非一度ご覧になってみてくださいね。
2月13日更新📝【note:もうひとつのブログ】
noteではWixブログで書いた内容を、読みやすくわかりやすいテキストにしています。
写真を交え、わたしのアートについて発信しています。こちらも是非楽しんくださいね。







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