俯瞰するということの政治性
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更新日:6 日前
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私はこれまで、針と糸の制作で、上空から見た地図のような風景を描いてきました。
土地の断片、建物の配置、俯瞰された都市の構造。それは常に「上から見る」視点でした。
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俯瞰するということは、距離を取ることです。
距離を取ることで全体像は見えますが、同時に、個々の声や温度は均されてしまう可能性があります。
地図は客観的なもののように見えます。
しかし、どこを中心に据えるのか、何を記号化し、何を省略するのかによって、世界の見え方は変わります。
俯瞰視点は中立ではありません。
それは、誰がどの高さから世界を見るのかという選択であり、すでにひとつの立場です。
都市計画、軍事、行政、宗教的権力——俯瞰の視点は歴史的に権力と結びついてきました。
私はなぜ、その視点を選んできたのか。
おそらく私は、土地と建物、大地と人の営み、その重なりを一枚の画面の中に収めようとしてきました。翻弄される生活や文化、歴史の層を、構造として見ようとしていたのだと思います。
しかし今、灰色という色を挿入することで、その俯瞰に揺らぎを与えています。
灰色は、鮮やかな色彩を相殺する中間色です。
前回の個展では「一時停止の色」として扱いました。
俯瞰する視線は、時に判断を早めます。構造として理解した瞬間に、わかったつもりになってしまう。
灰色は、その判断をいったん止めるための層です。
見えている構造を確定させないための保留です。
私はいま、俯瞰することと、その俯瞰を疑うことのあいだで制作しています。
声にならない声、相殺されてきたもの、歴史の中で均されてきた記憶。
それらを単に構造として整理するのではなく、揺らぎのまま画面にとどめられるだろうか。
私の制作は、俯瞰の政治性を自覚しながら、その高さを問い直す試みなのかもしれません。
いまの私は、そのような状態にいます。
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