北斎とホルスト・ヤンセン──線がつなぐ「生」と「死」の感触
- 2 日前
- 読了時間: 6分
📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
秋が深まり、空気の冷たさに急に季節の輪郭が出てきました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
年末までのカウントダウンを意識しはじめるこの時期、私は最近観た展覧会や映画の余韻の中で、ひとつの線が伸びていくような感覚を覚えています。
その線とは、「葛飾北斎」と「版画」、そしてそこからつながるホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)の世界です。

ホルスト・ヤンセンという作家を知った日
工房で出会った一冊の画集
ホルスト・ヤンセンという作家をご存じでしょうか。
主に銅版画、ペン画、水彩、鉛筆画など、超絶技巧と呼ばれるほどの密度で描き続けたドイツ出身のアーティストです。
「現代のデューラー」と呼ばれることもある人物です。
私が彼を知ったのは、通っていた版画工房に置かれていた一冊の画集でした。
デューラーのエングレーヴィングに強く惹かれ、同じ技法を自分でも制作していた頃で、銅版画の資料を漁っていたときに、ふとその本を開いたのがきっかけでした。
📍テキストの最後にコラムあり
北斎とヤンセンをつなぐもの
ヤンセンが北斎を「師」と見なした理由
最近私が観た展覧会や映画には、どこか「葛飾北斎」というキーワードがついてきます。
そして不思議なことに、ホルスト・ヤンセンにも北斎との接点がありました。
ヤンセンは北斎を深く敬愛し、自分の“師”のように考えていたそうです。
北斎の作品を研究し、生涯にわたって強い影響を受け続け、しまいには北斎のペンネーム「老人卍」にちなんだサインまで用いたほどです。
境界の溶ける世界観
ヤンセンの銅版画は、北斎の仕事とどこか似たところがあります。
輪郭線が世界を分断するのではなく、むしろその境界を揺さぶるように交差し、溶け、曖昧なまま進んでいく。
ときにグロテスクで、人間の愚かさや欲望、エロティシズムまでを神話のように描き切っていく大胆さがあります。
死の気配と、生のわずかな光
二人に共通するのは、ふわりと漂う「死の気配」だと思います。
ただし、それは暗さではなく、生がきらめく瞬間を捉えるための“陰”のようなもの。
ヤンセンの作品量は膨大で、線のひとつひとつが「生の儚さ」をそのまま刻んでいるように見えます。
技術の高さを超えて、ただ“描くしかない”という衝動が手を動かしているようにも感じます。
私のドローイングに流れるもの
墨で描くということ
私自身も墨のドローイングを続けていますが、そこで表現しているのは“性や死”というより、その奥にある「動き」なのだと最近思います。
動きとは、1秒ごとに姿を変え続けるもの。震え、歪み、重なり、濃淡──形になりきらないエネルギー。
内と外を分けない線
私が描こうとしている線は、内と外を区切る境界線ではなく、それらを包み込む“揺れ続ける現実”です。
一本の線が世界を二つに割るのではなく、寄せては返す波のように、内側と外側を往復しながら形をつくっていく。
北斎もヤンセンも、そして私自身も、そこに共通する眼差しがある気がします。
ホルスト・ヤンセンの作品を観た方へ
実物を観る日のために
実は私はまだヤンセンの作品を実物で観たことがありません。
もし、彼の展覧会や作品を実際に見たことがある方がいらっしゃれば、ぜひ教えてください。
その質量や空気感は、図版ではきっと伝わりきらないはずですよね。
🪞【特別コラム】ホルスト・ヤンセン:時代に逆行した「線の魔術師」とギュンター・グラスとの競合
❓1. 線の魔術師、ホルスト・ヤンセンとは?
「20世紀における最も偉大な素描家の一人」と称されるドイツの版画家・ドローイング作家、ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen, 1929-1995)。
1929年ハンブルクに私生児として生まれ、戦火で家族を失うという孤独な少年時代を過ごしました。この「喪失」の経験が、彼の作品に漂う退廃的な美と死の匂いの根源となっています。彼は、神経症的とも言える繊細かつ鋭利な線で、崩れゆく花、自身の老い、そしてエロティシズムを描き続けました。
🌊 北斎との運命的な出会い:42歳の「画狂」
ヤンセンの画業を語る上で、葛飾北斎の存在は無視できません。彼が北斎の作品、特にスケッチ集である『北斎漫画』に深くのめり込んだのは、42歳頃(1971年)のことでした。
彼は偶然手にした北斎の画集を見て、そこに自分と同じ「線の狂気」を見出しました。
完成された浮世絵版画よりも、北斎の「素描(ドローイング)」の自由奔放で即興的な線に強烈なシンパシーを感じたのです。
これに触発されたヤンセンは、「北斎の散歩(Hokusai's Spaziergang)」という連作銅版画を一気に制作。「日本の巨匠の肩越しに風景を眺める」ような感覚で、自身の風景画に北斎の視点を重ね合わせ、時空を超えた“師弟の対話”を繰り広げました。
⚔️2. 時代背景:抽象全盛期への「反逆」
ヤンセンが活動した1950年代〜70年代は、アートシーンの激動期でした。
当時の主流: アメリカ発の「抽象表現主義」や、アンディ・ウォーホルらの「ポップアート」が世界を席巻。「具象(目に見えるものを描くこと)」は時代遅れと見なされていました。
ヤンセンの立ち位置: 彼はこの流行を頑なに拒否しました。「私は流行の服を着ない」と言わんばかりに、ひたすら「具象」にこだわり、個人的な執着(自分自身の顔、愛人、萎れた花)を描き続けました。この「時代への逆行」こそが、彼を孤高の存在へと押し上げました。
🤼♂️3. ライバルとしてのギュンター・グラス
同じハンブルクを拠点とし、同時代を生きたノーベル賞作家ギュンター・グラス(『ブリキの太鼓』著者)との関係も有名です。
共通点: 二人とも多才で、戦後ドイツの「影」を背負った表現者でした。グラスもまた、版画や彫刻を手がける優れた画家でもありました。
月と太陽:
ギュンター・グラス: 社会に積極的に発言し、ドイツの良心を問う「太陽」のような存在。
ホルスト・ヤンセン: アトリエに引きこもり、アルコールと女性に溺れ、己の内面を掘り下げる「月(または闇)」のような存在。
関係性: 互いに才能を認め合う友人でありながら、強烈なライバルでした。ヤンセンは、社会派として振る舞うグラスの「道徳的な正しさ」を時に皮肉り、あくまで個人の美学に徹しました。
結び:なぜ今、ヤンセンなのか?
デジタルアートが溢れる現代において、ヤンセンの「手で描くことへの執念」は、圧倒的なリアリティを持って迫ってきます。
北斎が90歳まで画力を追求したように、ヤンセンもまた65歳で亡くなるその時まで、自らの線を研ぎ澄ませ続けました。
流行に流されず、孤独に「個」を見つめ続けた彼の姿勢は、情報過多の現代に生きる私たちに、ある種の憧れを感じさせるのです。
【BASE:オンラインショップ】
BASEではポストカードやドローイング作品を取り扱っています。是非一度ご覧になってみてくださいね。2026年のカレンダーを販売します。
【note:もうひとつのブログ】
noteではWixブログで書いた内容を、読みやすくわかりやすいテキストにしています。
写真を交え、わたしのアートについて発信しています。こちらも是非楽しんくださいね。





コメント