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2026展覧会レポート#67|路上、お邪魔ですか?@松濤美術館

10月1日
読了時間: 6分

更新日:10月2日

📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。


金沢21世紀美術館を経て東京にやって来た「路上、お邪魔ですか?」を見に行ってきました。数か月前に松濤美術館で新聞紙のようなチラシを目にして以来、ここでどう展示されるのか予想がつかず、気になっていました。


松濤美術館は白井晟一設計の建築自体に存在感があります。

展示室の中と外、吹き抜けや回廊の関係も特徴的です。

この展覧会を松濤美術館で開く選択と意図は、どこにあるのでしょうか。


見に行ったあとで、この展覧会を松濤美術館で開く意図を、わたしは展示から読み取りきれませんでした。渋谷という街との関係があるのかもしれませんが、これは推測にすぎません。11月22日のクロージングトークに、抽選に当たったら聞きに行き、確かめられたらと考えています。


金沢21世紀美術館から巡回した「路上、お邪魔ですか?」を、松濤美術館で見ました。白井晟一建築の中で、路上はどう見えるのか。高校の課題で見つけられなかった「トマソン」の思い出も交えて、鑑賞レポートにまとめました。(会期:〜11月23日)
2026年9月19日(土)~11月23日(月・祝)「路上、お邪魔ですか?」|松濤美術館

この展覧会は、本橋仁(金沢21世紀美術館学芸員)がメイン企画者、木原天彦(松濤美術館学芸員)が企画者として関わっています。松濤美術館は、完成した展覧会を受け入れるだけの会場ではなく、企画の段階から関わっています。この内容をホワイトキューブで見るのと、ここで見るのとでは、かなり印象が違うのではないでしょうか。


美術館という場と展示内容のマッチングは、その相互作用によって、作品に新たな問いを発見したり、衝突することで気付きを得たりすることもあります。そういう視点でみると、場は作品を選ぶのか、作品が場を選ぶのか。本展を見て、場は作品を選ぶけれど、作品が場を選ぶかどうかは、今のわたしには判断がつかないということがわかりました。それは、一度の鑑賞で見られる範囲に限界があり、決められないからです。


まず2階です。ぎゅっとまとめられたフロアで、いつになく展示ケースが多く、歩きまわるには窮屈でした。私的な研究室のような様態で、つり合いが良くないという肌感覚がありました。このフロアには半円形の小部屋があり、真っ暗にして鈴木康広《遊具の透視法》が展示されています。回転する小さな「グローブジャングル」と映像はディスコみたいで、没入感が際立ちました。このフロアは路上観察学会の作品がメインです。今ならYouTuberがしそうな内容だと感じました。


高校1年生の実技で、家の周りの「トマソン」を探して写真に収めるという課題が出たことがあります。クラスで一台のデジカメを順繰りに回して撮らなければなりませんでした。トマソンやハイレッドセンターのコンセプトに初めて触れた高校生は、得体の知れないマニアックな課題をかみ砕くことができず、トマソンを見つけられませんでした。クラスのみんなが撮った写真をみなで公表する時間はとても面白かったのですが、わたしは頭が固かったのかもしれません。そんなトマソンが、会場では学会メンバーのまとめた報告書として見られ、生モノとして立ち上がっていました。授業では机上のものだと思っていたものを、見られる未来が来ていたのです。こんなことが、美術館に行くサプライズです。


2階の学会のノリは、地下1階に移ると様相が異なります。社会と制度、政治に取り込まれ、深刻になるのです。自衛隊との衝突や暴力。「冗談抜きで」「笑えない」現実と、路上生活者と一般市民の排除。この空気が漂いはじめたところで、ユーモアや契機のトライが、嘲笑や侮蔑的にならずにどこに着地するのかがぶらりと垂れ下がり、その先を見いだせないと感じました。


地下1階は立体作品と写真作品がメインで、一面を使って展開していました。《銭湯山車》やダニエル・エヴェレットの写真は、パッと目に入るインパクトがあります。迫川尚子の写真と段ボールの積み重ねや、ビッグイシュー日本+今村健人の屋台も、ここでなければ見え方は違っていたのだろうなと思いました。松濤美術館という独自の会場で、作品は肩透かしを食らったようで、作品が発するエネルギーが感じられないような気がしました。場は作品を選んでいるのか、作品が場を選んでいるのか。


この排除の空気は、松濤美術館の入口に掲示されている「おわび」にも示されていました。前会場の金沢21世紀美術館で、困窮者支援の団体とキュレーターが対話した後、会期の途中に追加されたもので、松濤がそれを引き継いだものです。


東京新聞の記事によると、そこには、支援そのものが「路上」に否定的なイメージを与えるかのように読める、誤解を生む表現だった、という趣旨の一節があります。


会場の章を説明するパネルは、松濤美術館の過去のパネルを再利用していたり、キャプションの誤字をサインペンで修正していたりと、意図を感じました。美術館の備品を出してきて展示に再構成するのは、青木淳が「ほぼ、空」展でも展開していた手法です。青木は、過去オペラシティギャラリーの展覧会で使われた台座を再利用し、什器・椅子・照明などのユニットを制作・配置しました。


「路上、お邪魔ですか?」展に坂口恭平の《Kibera Bicycle》(2007年)や《坂口自邸》(2009年)が加わったら、別の角度からも照らせるだろうと思いました。

坂口は建築を学んだ視点から、路上生活者の住居を調査し、自ら移動式の家を制作する実践へと進みました。路上を観察することと、路上で生活することの違いがあります。

坂口の作品が展示されていたなら、観察する側と観察される側、鑑賞することと生活することの境界まで問い直していたかもしれません。


展覧会をどうみたらいいかという難しさというよりも、路上が美術という箱の中に納められることなのか、そうでなかったらどこに?ということを考えます。


高校生のわたしが家の外に出てカメラを片手に探したトマソンは、無用なオブジェやフシギなものではなく、「路上」をキーワードに外を見ることだったのかもしれません。


路上は広がっています。美術館という箱にとらわれず、アメーバのように動いていくとすれば、面白いまま存続するのか、制度と排除に絡めとられて硬直し、足を踏み入れる場ではなくなってしまうのか。展示を見たあとで、楽観的に想像することは、わたしには難しく感じました。



会期:2026年9月19日(土)~11月23日(月・祝)

休館日:月曜日(9月21日、10月12日、11月23日は開館)、9月24日(木)、10月13日(火)、11月4日(水)

会場:松濤美術館

開館時間:10:00 - 18:00(金曜日は-20:00)※入場は17時30分まで

入場料:一般 1,000円


🗾巡回の記録

・金沢21世紀美術館 2026年4月25日~9月6日



🪞出品作家について・会場構成・主な出品作品


出品者一覧(松濤会場)

路上観察学会(赤瀬川原平、藤森照信、林丈二、南伸坊、松田哲夫、杉浦日向子、一木努、荒俣宏、飯村昭彦)、鈴木康広、ギリヤーク尼ヶ崎、Chim↑Pom from Smappa!Group、山田脩二、迫川尚子、児玉房子、ダニエル・エヴェレット、銭湯山車巡行部、GROUP、panpanya。

⚠️金沢の出展者一覧にあった鯨津朝子、國府理、クシシュトフ・ヴォディチコ、村田あやこ、中村裕太は、松濤の美術手帖掲載の一覧には見当たりません(公式で要確認)。



会場構成

会場は「遊びとハック」「道路以後」「路上の発見」「道か、広場か」「ルール」「路上から都市へ」「終章、再び路上へ」の7セクション構成です。2階展示室では路上観察学会の活動などを紹介し、作品は美術館の外観や吹き抜け、窓など館内の各所にも登場します。



主な出品

  • 遊びとハック:鈴木康広《遊具の透視法》(2001)、ギリヤーク尼ヶ崎の活動紹介

  • 路上の発見:超芸術トマソンや建築探偵団など、路上観察学会の40年 。

  • 道か、広場か:1960年代以降の新宿駅西口を、Chim↑Pom、山田脩二、迫川尚子らの作品や記録で振り返る 。

  • ルール:ダニエル・エヴェレット《Untitled (from Marker)》(2024)

  • 終章:銭湯山車巡行部《銭湯山車》。最終日11月23日には渋谷の街での巡行を予定 。

  • GROUP:《眠らない都市》(2026、部分模型)



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