2026映画鑑賞レポート#09|リサ ラーソンがいた時間
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どうして人が食べているシーンを見ると感傷的になってしまうのでしょうか。
実の孫であるエミリア監督が祖母・リサラーソンと一緒にヴィーガンアイスクリームを食べながら、笑っている寛いだ姿を見ていたらウルっときてしまいました。
リサラーソンは日本でも人気あるスウェーデンを代表する陶芸家です。2024に92歳で亡くなりました。孫娘のエミリア監督は約8年間、祖母で芸術家であるリサラーソンの姿をカメラに収めたドキュメンタリー映画は、家族に囲まれ大きな笑顔がその場を包む温かい一本でした。
監督は「祖母みたいな芸術家に憧れていた」と語ります。画家・デザイナーだった夫グンナル、デザインの道に進んだ娘ヨハンナ。芸術家一家の中で、エミリアは映画監督という道を選びましたが、芸術家になることにプレッシャーを感じていた時期もあったといいます。
最愛の夫グンナルと一年間施設で暮らし、夫が亡くなったあと施設を出て自宅に戻ったリサは、台所に立ち、日常生活を穏やかに進めていきます。とてもリラックスしています。この映画の中で彼女は一度も顔をしかめず、不満も愚痴もこぼさず、取り乱した姿を見せることがありませんでした。人間だからそういう瞬間があって当然なのに、リサにはそれが似合いません。終始、落ち着いて穏やかでした。「手に粘土があれば満足」と、微笑みながら言うのです。
8年間の記録は、ラーソン家のプライベートを映したホームビデオの映像を挟みながら、祖母の人生の奥へと入っていきます。悲しいことがあっても手を動かして乗り越えてきた、いつも何かを作ってきたというリサも、年々体力が奪われていきます。気力は十分で、新しいアイデアはどんどん湧いてくるのに、体力が追いつきません。力が出ません。目に見える衰弱、落ち窪んでいく小さな瞳、忘れっぽくなっていく記憶。老いによる変化を、カメラはそっと伝えます。もしカメラに肉体があり、温度や距離を持てるなら、リサにできる限り寄り添いながらも、決して心の中まで覗き込もうとはしないでしょう——そんな絶妙な距離感でした。
やがてカメラの距離は、孫と祖母のものから、信頼し合う仲間同士のものへと移行していきます。リサはカメラの前で、初めて口にすること、誰にも言わなかったことを語り始めます。「わたしには女友だちがいなかったのよ」。創作の上でも最大のパートナーだった夫のこと、夫婦のこと。仕事ばかりで、子どもたちと遊んであげられなかったこと。会社では男性のほうが給料が高く、自分にはロイヤリティーが支払われなかったこと。批評家には評価されず、大衆的なものは軽蔑されたこと。リサの口からこぼれる話は、過去の価値観と社会を生き抜いた、自立した女性芸術家の歩んだ道そのものでした。
だからこそ監督は、同じ道を歩む者として祖母の話に真剣に耳を傾け、「でも」「なぜ」と問いを重ねます。リサはその疑問をさも当然のことのように受け止め、肯定しながら、それでもわたしはそうしたのだと答えます。エミリア監督は撮影を通して、リサが生きた時間、その時代が永遠に失われてしまう前に、この世界に残そうとするように祖母の世界へと入っていきました。
「何かを始めるときはいつもワクワクした」と語る祖母。時間が足りないと言いながら粘土をこねては壊すリサ。誰も見たことのないものを作りたい——そう願いながら粘土をこねてきたリサの作品は、彼女自身の好奇心と、最愛のパートナー、そして子供や孫たちに囲まれた喜びの中から生まれたものなのだと、この映画を見て感じました。
翻訳はLiLiCoさん。
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