記憶ではなく、才能を呼び覚ます|『海に落とした名前』を読んで
- 4 日前
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今年3月に訪れた「テート美術館 ── YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」展で、会場の最後に展示されていた作品を思い出しました。
シール・フロイヤー(Ceal Floyer)の《Monochrome Till Receipt (White)(モノクロームのレシート〈白〉)》です。
この作品は、一枚のレシートだけで成立しています。そこに印字されているのは商品名のみ。フロイヤーがオリジナル作品のコンセプトに倣い、開催地近くのコンビニエンスストアで実際に購入した「白」にまつわる商品のレシートが、そのまま展示されていました。
絵具で白い絵を描く代わりに、言葉だけで白い絵画を成立させる。わたしたちは文字を読みながら、頭の中に「白いモノクローム」を思い描くように仕掛けられているのです。
そのフロイヤーの作品と、思いがけず響き合う短編小説を読みました。
小説という文字と想像によって、同じ問いを別の形で立ち上げた作品をご紹介します。
📚海に捨てたもの、白いモノクローム。
『海に落とした名前』
著者:多和田葉子
出版年:2006年
出版社:新潮社
2006年に文芸誌「新潮」9月号に掲載された4編を収めた短編集です。
表題作「海に落とした名前」には、多和田葉子作品のキーモチーフとなるテーマが散りばめられています。言語、アイデンティティ、名前の喪失。
多和田作品を読み続けてきた方には、なじみ深い問いが流れています。
主人公の女性は、ある出来事をきっかけに自分の名前を失ってしまいます。それまでの記憶も、住所も思い出せない。パスポートも航空券も紛失し、唯一の手がかりはポケットの中のくしゃくしゃになったレシートの束だけです。
主人公はそのレシートを一枚一枚確認していきます。印字された情報が何かを呼び覚ましてくれるかもしれないと、必死で守り、手放さない。しかしレシートはただの文字の羅列なのか、それともその人にしか買えないものを浮かび上がらせる痕跡なのか——やがて印字された文字は薄くなり、紙の白さだけが浮かび上がっていきます。
そこで出会う一文が印象的です。主人公を診察した医師の甥がこう言います。
「記憶があなたを捨てても、才能は残るものだと思う。だから記憶ではなく才能を呼び覚ますのがいいんじゃないかな。」(多和田葉子『海に落とした名前』新潮社、2006年、p.38)
記憶ではなく才能によって自分を取り戻すという発想は、この物語の核心をなす言葉です。
後半に向かうにつれ、主人公に起きたある出来事の輪郭と、それにまつわる疑惑が少しずつ明らかになっていきます。周囲の人々が主人公を助けようとする思惑に、彼女は疑問を持ち、やがて恐怖を感じ始めます。そこから「逃げる」ために、彼女はこれまでの名前を自ら捨てることを選びます。
レシートの文字が薄くなり、やがて白い紙に戻っていくように、主人公もまた名前・記憶・住所といった個人を特定するものをすべて失い、白紙の状態へと還っていきます。
固執してきた名前や記録から解き放たれ、自分に本来備わっているものだけを頼りに生きていく——その選択が、彼女を真新しい舞台の演者へと導いていきます。
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