韓国の女性作家が描く、リアルな「生きること」——二冊の本から
- 5月26日
- 読了時間: 5分
📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
ここ最近、韓国の女性作家の本を続けて読みました。一冊は小説、もう一冊はエッセイ。
ジャンルは違っても、どちらにも通底するものがあります。それは、女性が自分の人生を生きることの、切実なリアリティです。
📚ふつふつと小さな杯から零れるように。
『82年生まれ、キム・ジヨン』
著者:チョ・ナムジュ 訳:斎藤真理子
出版年:2018年
出版社:筑摩書房
韓国でこの本が刊行されたのは2016年のこと。出版からわずか2年余りで100万部を突破し、社会現象と呼ばれるほどの話題作となります。現役の国会議員が300冊を購入して議員ひとりひとりに配る。人気女性アーティストがSNSでシェアしたところ、炎上する。フェミニズム文学として、女性だけでなく男性の読者にも大きな反響を巻き起こした作品です。
物語の主人公は、1982年生まれの韓国人女性・キム・ジヨン。
「キム・ジヨン」という名前は、この年に生まれた韓国の女性のなかで最も多い名前だという。どこにでもいそうな、ごく普通の女性の半生。誕生から学生時代、就職、結婚、育児を、精神科医のカルテという体裁で振り返っていく構成です。
読んでいて、息が詰まるような感覚がありました。
わたし自身、主人公とほぼ同じ時代を生きてきた女性として、この本は自分の人生と社会的背景を初めて客観的に見つめ直す機会になりました。親戚縁者から、両親から、当然のように受け継がれてきた価値観。「常識」として疑うことすらなかった偏見。女性を軽視するまなざし。セクハラ、モラハラ——当時のわたしはそれを問題として認識することもなく、ただ受け入れていました。そのことに気づいたとき、口をぽかんと開けたまま固まってしまうような気持ちになりました。自分の無知さ、無学さへの驚きとも、恥ずかしさとも、怒りともつかない感情が、ふつふつと小さな杯から零れるように溢れてきました。
この小説には、救済もない。絶望もない。感動的な結末も、鮮やかな逆転も描かれていない。主人公がこれからどのような選択をして(あるいはさせられて)生きていくのか、一切示されていません。あるのは、ただ社会の現実だけ。その潔さが、かえってずしりと重く心に残ります。
📚この形で生きる。
『女ふたり、暮らしています。』
著者:キム・ハナ、ファン・ソヌ 訳:清水知佐子
出版年:2021年
出版社:CCCメディアハウス
こちらは小説ではなく、エッセイ。
気の合う友人を「人生のパートナー」として選び、共に暮らすふたりの日々を綴った一冊。著者のキム・ハナとファン・ソヌは、ともに1976〜1977年生まれ。似ているようで真逆の性格を持つ同世代の女性ふたりが、マンションを折半で購入し、猫4匹とともに共同生活を始めた。
このふたりが選んだ暮らし方は、「結婚」でも「シングルライフ」でもない。単なるルームシェアでも、ましてや恋愛関係でもない。互いの良いところも、受け入れがたい部分も、折り合いをつけながら共存していく——そのプロセスが、ユーモアたっぷりの本音の言葉で綴られています。
感覚の違い、環境の違い、性格の違い。片方が几帳面なら、もう片方はおおらか。片方が料理上手で、片方は後片付け上手。そうした「違い」と向き合いながら、同時に好きなものや楽しいこと、共鳴する感覚も同じだけ存在します。踏み込んではならない領域はどこか。ケンカをした後、どうやって関係を修復するか。他者と生きるということの、細部と本質がそこにありました。
このエッセイが韓国でベストセラーになったのは、ただ「変わった生き方」を紹介したからではないと思います。ふたりが1976〜1977年生まれという世代を考えると、その選択が持つ意味の重さが見えてきます。先に紹介したキム・ジヨン(1982年生まれ)よりも5〜6歳上の世代。彼女たちが若かったころの韓国の労働環境、家庭環境、社会的背景を想像すると、ふたりが「この形で生きる」と選び取ったことがどれほど意表を突くものだったか!
そしてどれほどの覚悟を要したものだったかが、伝わってくるのです。
韓国文学が日本で読まれるということ
この2冊を読んで、韓国文学が近年日本でこれほど広く受け入れられている理由のひとつが見えた気がしました。
もちろん、K-POPや韓国ドラマの流行が入り口になっている面もあるだろうけれど。韓国の女性が書いた小説やエッセイが日本でもベストセラーになるのは、根っこのところで、東アジアの女性たちが抱えてきた問題が似通っているからではないだろうか。
違う国の言葉で書かれているのに、読んでいると「これは自分のことだ」と感じる瞬間が何度もあります。それは単なる共感を超えて、国境を越えた連帯のようなものだと思うのです。ひとりで抱えていたもやもやが、別の言語で、別の誰かによって、果敢に言語化される。その発見が、読む者に静かな力を与えてくれます。
ふたつの本は、どちらも「解決策」を提示してはいません。
自分の目で現実を見て、自分の言葉で語ることの大切さ、先のことは分からない、けれど今自分の最適の選択の時期を逃さないこと、先のことには柔軟でいることを教えてくれました。
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