2026展覧会レポート#48|東京都美術館開館100周年記念アンドリュー・ワイエス展@東京都美術館
- 7月2日
- 読了時間: 10分
📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
行こう行こうと思っていたけれど、他の展覧会を優先してつい足が遠のいてしまったワイエス展を、ようやく見に行ってきました。入場するときは特に何も期待せず、白紙の状態でした。ところが出口では、何かがわかったような気持ちになるまでに自分に変化が起きていて、それに自分自身が驚いてしまいました。
その「何か」は言葉にできるものなのか、言葉にならないものなのか。頭の中で断片が点滅するような感じを味わいました。わたしの言う「断片」とは、読書で出会った文章や、その文章からイメージする映像のことです。
▼鑑賞前に公式HPを元に見どころを3つに整理しました。
💬7月5日閉幕。「境界に立つとき、心が動き出す」アンドリュー・ワイエス展
ワイエス展のハイライトは1Fの第3章にあると思いました。
訪れる前に抱いていた漠然とした印象は、ドライブラッシュ画法による乾燥した画面でした。ぱさぱさした、水分の抜けた状態の画面とモチーフ。LBFの第1、2章はある意味、そうした目から感じる「乾燥した〜」という形容詞さえも残らない、のっぺりした空想上の世界を描いていました。
マグリットやダリのような平面的でシュルレアリスム的な、真空空間のような世界です。
それが1F「第3章ニューイングランドの家――オルソン・ハウス」に進むと、内的世界から外界へ放たれた生身の人間が感じたであろう、目に見えないものを喚起する画へと変化していました。湿度や温度、時刻による光や空模様の変化、埃や塵の舞う一粒一粒。
物体の老朽化という変化、そこに吹いた風と草の揺らぎや匂い、人家の匂い、人間の体臭といった五感に訴えるものが描かれるようになります。
色彩は抑えられ、現実の色にセピアフィルターをかけて雰囲気を強調するように、ワイエス自身が見たものを通して描きたいところを前面に押し出してくる。
しかしこれは現実をそのまま描いたのではない、ということが鍵になります。
なぜなら、初めてオルソン・ハウスを訪れて描いた一枚の水彩を見るとわかります。
ワイエスがそれを描く中でいかにフィルターをかけていったかが伝わってくる一枚です。
色彩を捨象しながら描きたかったものとは何だったのか。
わたしはそれが「骨格」だったのだと考えています。骨格とは、人間でいえば「骨」、建物でいえば「骨組み」(土台)です。その骨格に迫るとき、不必要なものは淘汰し(色彩を最小限に)、浮かび上がらせる。
チラシのメインビジュアルにもなった《クリスティーナ・オルソン》は、元々ほっそりしているのか、彼女の骨の位置が解剖学的に正確に描かれています。頭部の形も、頭蓋骨を容易に想像できるほど正しい。見ていると、だんだんと彼女から肉と皮が削がれ、骨だけになっていく。しかし骸骨・骨格だけになったとしても、その人物がそこに在るという尊厳的な重みと物質的な軽さは、絵全体の印象を著しく変えるものではありません。
それくらい個性は無個性に結びつき、人間の生と死はどちらを描くにしても透けて見える——この絵から見えてきたことです。
それにしても画家本人と、クリスティーナとヘルガはどうしても似た顔に見えてきます。
鑑賞者はオルソン・ハウスという一軒が、誰に知られることなくひっそりと建ち、刻々と終焉へ向かう姿を見ます。
何者にも侵されないまま年月が流れ、ただ静かに朽ちていく——その時間の愛おしさ自体が、ひとつの豊かさです。しかし家がまだ建っていた時の記憶が、自然の脅威や人的破壊に晒されたという暴力的な背景を持っていたとしたら、その豊かさはさらに別の意味を帯びてきます。
朽ちた姿のままで残されることさえ叶わず、今はもう亡いものになってしまった後では、家の内部のなんてことない光景や、そこで過ごしたごく普通の時間が、遡って際立って貴いものとして映ってくる。寂寥や諦めや寂しさを感じるのと同じ地平に、そういう豊かさもある。
ワイエスもそれを描くとき、ある種の豊かさや溢れるイマジネーションと感嘆があったとしてもおかしくはありません。
「なぜこんな場面を?」「なぜこんな場所を?」「なぜこんなありふれたものを?」と、見る者はそのモチーフに疑問を持つかもしれません。「絵になりそうにないもの」を描いた、とも言えます。しかしそれこそが画家の眼だと思います。
「よく見る者」はよく見ることで、あらゆる限りの現象を見出します。その摂理を描くには、多くの情報や多くのドラマや多くの色彩に接する必要はありません。自分の目が捉えたものを信じて疑わず、大きく動き回る必要もない。何でもないものが画家の眼と心と手を捉えて離さず、縛り付ける。だからこそ小さなものひとつひとつが大きく(結果として細密描写になり)、大きなものが小さな存在になる。俯瞰した視点が生まれます。
ワイエスの行動範囲は、限られた人間関係と物理的距離の中を移動するものでした。幼少の頃から家の中やその周辺で過ごす時間が多く、限定した人たちに囲まれ、内的世界にいる時間が長かった。外交的な接触が少なかったかもしれないことにより、その範囲に起きる物事の微細な変化に気づく眼の動きと、その停止から一点に執着する傾向があったのではないでしょうか。
オルソン・ハウスが朽ちて住人もまた去る必然。ドライブラッシュやテンペラという画法がそれを下支えし、あるトーンでフィルターをかけて、ひとつの物語(私小説的な)、ひとつの方向性へと絵を引っ張るとき、ワイエスの美意識と美的性向が潜んでいて、見る者を誘導する(される気がする)。わたしはそれらある種の道具立て、舞台装置から「骨格」を抜き出し、骨だけになったとしても成立する画面を描いたワイエスの透徹したまなざしに、この展覧会で初めて気づきました。
すべてを剥ぎ取って中身を透けて見せた、彫刻家のようなやり方を。
【東京都美術館開館100周年記念アンドリュー・ワイエス展】
会期:2026年4月28日(火)~7月5日(日)
会場:東京都美術館
開館時間:9:30―17:30※金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
入場料:2,300円
🪞会場構成と出品リスト
会場構成(全5章)
「境界」をテーマに全5章でワイエスの表現を読み解く構成で、第1章・第2章はワイエスという画家の紹介と技法・表現、第3章からは彼が見つめた題材をたどる流れになっています。
第I章 ワイエスという画家
自画像と初期代表作を中心に、ワイエスの出発点を概観するセクション。
第II章 光と影
明暗の対比による画面構成に焦点を当てる。明暗のコントラストは内と外、現実と記憶の関係を可視化するもので、窓や扉といったモティーフが境界として機能しながら、空間を隔てるだけでなく両者をつなぐ役割も担う。
第III章 ニューイングランドの家――オルソン・ハウス
丸沼芸術の森コレクションを中心とした連作が核となるセクション。1939年以降、メイン州の木造家屋オルソン・ハウスはワイエスにとって重要な制作テーマとなり、そこに暮らすクリスティーナの存在が風景と結びつきながら作品の精神性を支えている。
第IV章 まなざしのひろがり
ワイエスのまなざしが人物から周辺の風景や建物へと広がっていく後期の展開を示すセクション。ペンシルヴェニア州の隣人カール・カーナー、その後はヘルガ・テストーフをモデルとした特定の人物との関係のなかで制作が続けられ、やがて身近な風景や建物へと向けられていく。なお第4章から写真撮影が可能。
第V章 境界あるいは窓
晩年の主題的探求をまとめた終章。窓・扉・境界というワイエス芸術の根幹を成す主題を集成し、展覧会全体の総括となる構成。
出品リスト(東京会場)
以下は公式PDFより。◎は日本初公開作品に含まれる可能性の高い主要作。
第I章 ワイエスという画家
No. | 作品名 | 制作年 | 技法・材質 | 所蔵 |
1 | 自画像 | 1945 | テンペラ、パネル | ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン、ニューヨーク |
2 | ヒメコンドル(《飛翔》のための習作) | 1942 | 鉛筆、紙 | ボストン美術館 |
3 | ◎冬の野 | 1942 | テンペラ、パネル | ホイットニー美術館、ニューヨーク |
4 | クリスマスの朝 | 1944 | テンペラ、パネル | マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス |
5 | ハリケーンの海 | 1944 | 水彩、紙 | ボストン美術館 |
6 | マザー・アーチーの教会 | 1945 | テンペラ、パネル | アディソン・ギャラリー、アンドーヴァー |
8 | スウィープ | 1967 | テンペラ、パネル | フリント美術館 |
9 | 裏の入り江 | 1967 | 水彩、紙 | 個人蔵 |
10 | 鷹の木 | 1973 | ドライブラッシュ、紙 | 成田ゴルフ倶楽部 |
11 | 火打ち石 | 1975 | テンペラ、パネル | 個人蔵 |
12 | サンド・ダラー | 1975 | ドライブラッシュ・水彩、紙 | 個人蔵 |
第II章 光と影
No. | 作品名 | 制作年 | 技法・材質 | 所蔵 |
14 | スプール・ベッド | 1947 | 水彩、紙 | ホイットニー美術館、ニューヨーク |
15 | 雪の朝 | 1947 | テンペラ、パネル | ユニマットグループ |
16 | 風力発電機 | 1949 | 水彩、紙 | 個人蔵 |
17 | 鐘つきロープ | 1951 | テンペラ、パネル | デラウェア美術館、ウィルミントン |
18 | ◎冷却小屋 | 1953 | テンペラ、パネル | フィラデルフィア美術館 |
19 | 《オルソン家の納屋の内部》習作 | 1957 | 鉛筆、紙 | 丸沼芸術の森 |
20 | 岩棚の門 | 1959 | 水彩、紙 | 画廊裕貴 |
21 | 三月の嵐 | 1960 | ドライブラッシュ・水彩、紙 | デラウェア美術館 |
22 | 干し草づくり | 1961 | 水彩、紙 | ユニマットグループ |
23 | 洗濯物 | 1961 | 水彩、紙 | カマー美術館、ジャクソンビル |
24 | 粉挽き場 | 1962 | テンペラ、パネル | フィラデルフィア美術館 |
25 | うたた寝 | 1963 | 水彩、紙 | ファーンズワース美術館、ロックランド |
26 | ブルーベリーのバケツ | 1964 | 水彩、紙 | ユニマットグループ |
27 | 松ぼっくり男爵 | 1976 | テンペラ、パネル | 福島県立美術館 |
28 | 凍りついた家 | 1978 | 水彩、紙 | ヒューリックホテルマネジメント |
第III章 ニューイングランドの家――オルソン・ハウス(丸沼芸術の森コレクションが中心)
No. | 作品名 | 制作年 | 技法・材質 | 所蔵 |
30 | オルソンの家 | 1939 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
31 | 表戸の階段に座るアルヴァロ | 1942 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
32 | 階段と表戸 | 1948 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
33 | 屋根窓 | 1947 | インク、紙 | 丸沼芸術の森 |
34 | 屋根窓 | 1947 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
35 | 三階の寝室 | 1947 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
36〜40 | 《海からの風》習作(5点) | 1947 | 鉛筆・水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
41〜42 | 《クリスティーナ・オルソン》習作(2点) | 1947 | 鉛筆、紙 | 丸沼芸術の森 |
43 | クリスティーナ・オルソン | 1947 | テンペラ、パネル | マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス |
44〜45 | 《幽霊》習作(2点) | 1949 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
46 | 青い扉 | 1952 | 水彩、紙 | デラウェア美術館 |
47 | オルソンの家 | 1952 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
48 | オルソン家の納屋のツバメ | 1953 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
49 | 干し草置き場のエイミー・クック | 1953 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
50 | 台所の戸口のアルヴァロ | 1960 | インク、紙 | 丸沼芸術の森 |
51 | 《オルソン家の納屋の内部》習作 | 1957 | 鉛筆、紙 | 丸沼芸術の森 |
52 | オルソン家の納屋の内部 | 1957 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
53 | 《青い計量器》習作 | 1959 | 水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
54 | 青い計量器 | 1959 | ドライブラッシュ・水彩、紙 | 丸沼芸術の森 |
55 | 《ニュー・イングランド》習作 | 1960 | 鉛筆、紙 | 丸沼芸術の森 |
56 | 穀物袋 | 1961 | 水彩、紙 | (リスト途中) |
第IV章・第V章の完全なリストはPDFの続きに収録。
主要作品としては、第4章から《松ぼっくり男爵》(福島県立美術館)や《隠れ場》習作、第3章クライマックスに《オルソン家の終焉》(クリーブランド美術館)が含まれ、終章には《薄氷》(1969年、三井住友銀行蔵)や《ゼラニウム》(ファーンズワース美術館)が並びます。
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