2026展覧会レポート#46|没後110年 日本画の革命児 今村紫紅@横浜美術館
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正直、作品を見ても誰が誰だか見分けがつかないと思っていました。しかし実際にそこへ行き作品に向き合うと、描いた本人のことを少しも知らなくても、性格的な特徴や、作品から発せられる空気・雰囲気・匂いが人によって異なり、同じものはひとつもないということをうっすら感じるようになりました。継続して見るにつれ、それは日本美術への興味になり、人も作品も一面的ではない面白さに惹かれました。
そして閉幕直前、横浜美術館「没後110年 日本画の革命児 今村紫紅展」へ向かいました。
💬「今村紫紅」展の見どころをピックアップしています。
42年ぶり、公立美術館初の大回顧展
今村紫紅は36歳で早逝したため、その全貌をまとめて見られる機会は決して多くありません。今回の展覧会は42年ぶりの大規模回顧展であり、公立美術館では初めての本格的な回顧展です。約200点が集まり、現時点では決定版と言ってよい内容です。東京および全国への巡回予定も発表されていません。

「紫紅」という雅号に惹かれて
作品を見る前、わたしはまず「今村紫紅(1880–1916)」という雅号の言葉の選びに惹かれました。男性でも女性でも通じる音と字の組み合わせ。
「紫紅」は「千紫万紅(せんしばんこう)」という言葉から取られ、松本楓湖の画塾で学んでいた翌年(1898年)に、紫紅本人が自ら名付けました。
さまざまな花が色とりどりに咲き乱れる様子を表す四字熟語です。
人の名前には色を顕す漢字を持つ方がいますね。わたしの友人の娘さんもそうです。色を持つ名前から、人柄や雰囲気が匂い立つものがあります。
色彩の人、紫紅
会場に入ると、雅号から受けた印象に、新たなイメージが付加されました。
紫紅は画業の初期から、線描や骨描きという「線の人」ではなく「色彩の人」でした。淡く優しい。薄墨で絹の一糸一糸に溶け込むような柔らかさと、フィルターをかけたような空気感。
《笛》にもその特質は顕れています。勇ましい人物を描く際にも、紫紅のマジックフィルターは外れない。初期は人物画が中心でしたが、会場を進むにつれ、次第に風景へとシフトしていきます。
《護花鈴》と原三溪の支援
会期の最後に訪れたため、代表作の《護花鈴》《熱国之巻(朝之巻)》《熱国之巻(暮之巻)》は見ることができませんでした。日本美術の作品はきわめてデリケートな素材と画材で描かれているため、照明・湿度・温度の影響を受けやすく、展示できるのは1か月程度が限度。展示後は最低でも1年間、作品を「休ませる」必要があるそうです。
この《護花鈴》こそ、横浜の実業家・原三溪が目を留めた作品でした。
三溪は横山大観、下村観山、菱田春草らのパトロンとして知られた人物です。紫紅もその一人として月額100円の支援を受け、それが画業に集中できた大きな基盤となりました。
三溪の援助によって生まれた自由な画業の充実が、後期の作品群にも確かに息づいています。
後期の目玉——《近江八景》八幅
その後期の目玉となったのが、《近江八景》紙本着色・八幅(東京国立博物館蔵)でした。八幅の中でひときわ際立つ《比良(暮雪)》は、油絵のようなマチエールを感じさせるゴテゴテした質感が新鮮でした。雲を輪郭だけにして塗り切らないこと、垂らし込みでも朦朧体でもない描き方。
《唐崎夜雨》はその一方で、画面の上空部分をまるごと空白にしてしまう大胆さがあり、描き込みは中央から下に集中しています。
《大井川》は掛け軸のタテ構図に半円を描くように川が流れ、鳥の視点なのか、どこから切り取ったのか分からない妙なアングルのアンバランスが面白い。
色彩に加え、構図の取り方もまた、紫紅の独特な個性です。
「暢気に描け」と「日本画の革命児」
「暢気に描け」というフレーズと「日本画の革命児」というワードの相反する印象は、そのまま紫紅の作品と作家像に当てはまるのだと思いました。
初期から最晩年に至る変遷の中で、点描のような描き方への移行、画業の行き詰まりから渡航した先での色彩と形態の単純化。それらは確かに、日本画における革命に近いものです。
しかしそのパワーワードから連想するような破天荒な人物ではなかった。
大観、観山ら先輩画家と共に切磋琢磨し、後輩にはアニキ肌で接した人だったようです。
革命と暢気という相反する引力を束ねて結集させた作品には、超絶技巧や写実性ではなく、色彩と構図、たらし込みや点描による画面の単純化と、そこから生まれる暢やかな自然さがあります。
輪郭や線描を最初から薄墨で描いた紫紅は、見ているものに明確な線では描き切れないものを風景を通して見て、それを平面に落とし込もうとしたのではないでしょうか。
📝参考資料メモ
「暢気に描け」という言葉は、『現代日本美術全集3 菱田春草・今村紫紅』(集英社、1973年初版)で確認できます。本展の公式図録とは別に、今から50年以上前の画集ですが、これを手元に置いて見ると、本展がいかに紫紅のほぼ全作品を網羅した展覧会であるかが実感できます。当時の画集では所蔵先が記載されていない作品が、本展の図録では明記されています。
作品がこの半世紀の間にどこにあり、どのように受け継がれてきたか。その遍歴のドラマを想像しながら楽しむ、昔の画集が更新され生きています。
【没後110年 日本画の革命児 今村紫紅】
会期:2026年4月25日(土) ~ 6月28日(日) 休館:木曜日 ※4月30日、5月7日は開館
会場:横浜美術館
開館時間:10時~18時(入館は閉館の30分前まで)
入場料:2,200円
💡会期中4回、展示入れ替えあり。
🪞会場構成・出品リスト
展示構成(全4章)
冒頭にダイジェスト室「紫紅の人生をダイジェスト! しっとこう、しこう」を設置。全体像を把握してから各章に進む「やさしい展覧会」として設計されている。各章タイトルはすべて紫紅自身の言葉から採られている。
第1章「古画のよい処を分解して、その後を追え!」
松本楓湖に入門し、古典の徹底的な模写と写生を重ねながら歴史画で頭角をあらわした青年期。日本美術院の展覧会で受賞を重ね、早くも新進画家として認知されていく時期を辿る。
第2章「絵画は矢張(ヤハリ)多方面に描け!」
文展出品作《護花鈴》に目を留めた実業家・原三溪の支援を獲得し、生活が安定したことで創作の幅が広がる。「三溪との出会い」「紫紅と琳派」の二部構成。俵屋宗達への私淑や明清古画の研究が深まり、多彩な主題に挑んだ時期。
第3章「自由も、新も我にあり!」
病後にもかかわらずインドへ旅立ち、道中の光景を絵巻に描いた《熱国之巻》を発表。賛否を巻き起こした問題作を中心に、既成の日本画の枠を超えようとした果敢な挑戦をたどる。
第4章「暢気(ノンキ)に描け!」
再興日本美術院の中心的存在となり、後輩を率いて研究会「赤曜会」を設立。南画の再評価(「新南画」)や西洋絵画の影響を取り込みながら晩年の画境を深めた作品群。36歳での早世の直前まで制作は続いた。
4回の展示替えと主な出品作品リスト
絹本・紙本の重要文化財の保護するため4回の展示替えが行われる。
2つの代表作《護花鈴》と《熱国之巻》《近江八景》が、それぞれ会期を分けて公開された。
第1期 4月25日(開幕)〜 5月8日
目玉作品:《護花鈴》絹本着色・六曲屏風一双 霊友会妙一コレクション桃山文化に傾倒した原三溪の目に留まった大作屏風。各170.2×364.4cmという大画面で、重要文化財指定候補との声もある。公開期間わずか2週間の展示限定作品。
第2期 5月9日〜 5月20日(展示替え第1回)
目玉作品:《熱国之巻(朝之巻)》紙本着色・一巻 東京国立博物館蔵 国指定重要文化財インド旅行(1914年)の道中で見た光景を描いた絵巻の「朝之巻」。
47.5×954.5cmという横長の大作。同時期に《東海道五十三次絵巻》第2巻(横山大観・下村観山・小杉未醒との合作、東京国立博物館蔵)も展示。
第3期 5月22日〜 6月3日(展示替え第2・3回)
目玉作品:《熱国之巻(暮之巻)》紙本着色・一巻 東京国立博物館蔵 国指定重要文化財「朝之巻」と対になる「暮之巻」に入れ替え。《東海道五十三次絵巻》は継続展示(〜6月3日)。
第4期(後期) 6月5日〜 6月28日(展示替え第4回・閉幕)
目玉作品:「比良」(《近江八景》より)紙本着色・八幅対のうち 東京国立博物館蔵 国指定重要文化財165.0×56.9cmの縦長大作。琵琶湖の名所を写生に基づいて描いた連作の一部が後期に集中公開。
通期展示の主要作品(全期間を通じて展示)
《鞠聖図》紙本着色・二曲屏風一隻 明治44年(1911) 横浜美術館蔵
《伊達政宗》絹本着色・一幅 明治43年(1910) 横浜美術館蔵
《笛》絹本着色・一幅 明治33年頃(c.1900) 東京国立近代美術館蔵
《枇杷ニ鷽》大正2年(1913) 横浜美術館蔵
《春之海》絹本着色・一幅 大正3年頃(c.1914)
《潮見坂》絹本着色・一幅 大正4年(1915) 横浜美術館蔵
《南風》絹本着色・一幅 大正4年(1915)
《桃源》絹本着色・一幅 大正5年(1916)
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