2026展覧会レポート#56|長谷川潔展 ―パリに生きた銅版画家の軌跡―@パナソニック汐留美術館
- 8月11日
- 読了時間: 8分
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前回は西洋美術館でレンブラントの銅版画を見てきました。今回はパナソニック汐留美術館「長谷川潔ーパリに生きた銅版画の軌跡ー」展に足を運びました。
銅版画家・長谷川潔がマニエール・ノワールに込めたベルベッドのような質感の黒はレンブラントが作り出した黒の世界とはまた違う黒の世界を作り上げています。
💬長谷川潔展を見に行く前に見どころをまとめています。

初めて館外へ
この展覧会は町田市立国際版画美術館の所蔵品で構成されていて、今回初めて館外での展示となりました。
高級で厚みのある質感の黒色を背景としたメゾチントは、一度みたら忘れられない作品です。小鳥や木の実、トランプやガラス瓶、おもちゃやリングなど、小さな生物を丹精こめて彫り、磨いていく仕事。版画は主に線の芸術ですが、長谷川は輪郭線やハッチングではない方法で、長谷川は独自の世界を拓きました。
長谷川潔とは
長谷川潔(1891–1980)は、横浜に生まれ、20世紀のフランスを中心に活動した日本を代表する銅版画家です。
1918年、単身フランスへ渡り、以後一度も帰国することなく、生涯の大半をパリで過ごしました。エングレーヴィングやドライポイント、アクアチントなどさまざまな銅版画技法を研究する一方、当時すでに廃れつつあった古典技法「マニエール・ノワール(メゾチント)」を独自の方法で復興させ、その技術を極めたことで知られています。
1920年代には、フォーヴィスムの画家・版画家ラウル・デュフィに認められ、「独立画家=版画家協会」に参加。マティスやピカソら同時代の芸術家たちが活動するパリの版画界で存在感を高めていきました。
また、日本の伝統文化にも強い関心を持ち続けました。晩年のメゾチント作品では、漆黒の画面のなかにわずかな光を浮かび上がらせることで、物の姿を超えた「存在」や「宇宙」を思わせる独自の世界を築き、1980年、パリで亡くなっています。
苦手だった長谷川潔の黒
正直に言うと、長谷川潔の黒はこれまで少し苦手でした。けれど本展で初期から晩年までをまとめて一度に見ると、印象が変わりました。
マニエール・ノワールだけでなく、ビュランの鋭く禁欲的で緊張感のある線、メゾチントの黒の変遷、アクアチント作品――それらを通して、同時代の画家たちの中に置いたときの長谷川作品の独自性が見えてきて、一気に引き寄せられていきました。
会場では実際に使用していた道具も展示されていました。道具の素朴さ、丁寧に手入れされている様子、華奢で小さく飾り気のない感じが、作品だけでなく長谷川という人そのものを表しているようで、好感を持ちました。
和紙に包まれた「竹取物語」の間
パナソニック美術館の会場はこじんまりとしていて、何度もぐるりとできる大きさです。その中で面白い演出で際立っていたのは、「第3章 竹取物語」のフロアでした。
《竹取物語》には、最高級和紙「鳥の子紙」を特注したものが使われています。老舗版画工房ドラートルで長谷川自ら刷りの監督もしました。7年かけて完成した渾身の作品です。
この世界に呼応するように、会場は和紙で包まれた空間になっていました。手掛けたのはテキスタイルデザイナー須藤玲子さんです。白い布に越前和紙を貼りつけた壁紙は、竹取物語を刷ったクリーム色の鳥の子紙と呼応し、やわらかくぼんやりした明かりとなって作品を照らしていました。
花に見る
今回わたしが個人的に好奇心を持って注目したのは、長谷川が版画人生のキャリアの初期から彫ってきた花に対する感性の行方でした。コップに挿した花。それを見ていると、長谷川の生涯までも感じることができたからです。
わたしは約5年間花店で働いていたことがあります。その時に民間の花の資格を取るために、フラワーアレンジメントを学びました。級が上がるにつれて、花の差し方は日本の生け花に近いスタイルになりました。花の種類による個々の特徴を生かした自然な状態を、人の手で美しく整えるスタイルです(それまではワイヤーで花の茎を曲げたりして加工していました)。これを当時はヨーロピアン・スタイルと言いました。日本的に感じるのにヨーロピアンなんて、不思議に思ったものです。
アネモネ・バラ・パンジー
長谷川の描いた花をみてみると、1932年頃~はアネモネ、バラ、パンジーなどマス・フラワーを中心に、花を切り詰めて短くしてコップに挿した作品を作っています。背景はレースを転写したデコラティブで美しい作品です。レースを銅板に転写し、白く抜けるように刷る技法は、当時謎に包まれていたそうです。長谷川自身も教えようとはしなかったと聞いたことがあります。今ではそのベールは剝がれ、こうして銅板まで展示しているなんて、度肝を抜かれます。
コクリコ・矢車草・麦
1943年~の花の作品は、エングレーヴィングで仕上げたものです。出品されたこれらの作品は、ルーブル美術館のカルコグラフィー(版画工房)から注文を受け、原版と作品が買い上げられたものです。葉ものなど、タテに長く動きのある植物を取り入れたこれまでとは違い、すっきりした画面になっています。花材は6~7種。
アンコリ・麦
1957年~晩年のメゾチントの花の作品は、花は一輪のみ、あとは葉ものや野草など日本の生け花を彷彿とさせるフォームになっています。花材は多くて3種。
黒の層が、幕を閉じる
長谷川は11歳で父を、17歳で母を亡くしています。7歳の時、父から論語、書道、書画、骨董の鑑賞、日本画の筆法を学びました。その影響が、晩年になりありありと姿を顕したような気がしました。郷愁(ノスタルジー)、三つ子の魂百まで。「静物画―マニエール・ノワールの宇宙」と題したフロアで、そんな因果を、頭の中で転がしていました。
精神性。大宇宙。永遠。世界の秩序。
一見スピリチュアルな単語と一体になる、最後のマニエール・ノワール(メゾチント)作品群。《横顔》(1970年)を最後に、長谷川は事実上版画制作に終止符を打ちました。それには、こんな背景があります。版画制作には、腕のいい刷り師の存在が不可欠です。刷りの如何で、作品の出来が大きく左右するからです。1920年から協同した刷り師・カミーユ・ケンヴェルが1971年に逝去すると、長谷川の制作も止まりました。厚い厚い黒の層が、静かに幕を閉じたのでした。
職人と作家。
決して替えのきかない、かけがえのない太いつながりを見届けたような、最後のフロア。
厚い黒の層が、ちり積もり、しんとした気持ちで終わる展覧会でした。
レンブラントの風や大気、人の呼気がつくる微風までも表す黒。一分一秒の腐食の進み方までコントロールする、溝の深浅がつくる黒。それとはまた違う、長谷川の黒。その二つの黒の物語を同時に見られるこの夏は、酷暑でも見に行く価値がありました。
📝訪問メモ:休館日にご注意を
さいごに補足です。パナソニック汐留美術館は水曜日が休館日です。私は確認せず水曜日に出掛けてしまい、入れず別の日に改めて見に行きました。皆さんはどうぞお気をつけて。
会期:2026年7月11日(土)〜 9月23日(水・祝)
※水曜日(ただし9月23日は開館)、8月10日(月)〜 14日(金)
会場:パナソニック汐留美術館
開館時間:午前10時~午後6時(ご入館は午後5時30分まで)
*8月7日(金)、9月4日(金)、9月18日(金)、9月19日(土)は夜間開館 午後8時まで開館(ご入館は午後7時30分まで)
入場料:1,200円
🪞会場構成と主な出品作品
序章|日本時代 ―水と空のかなたから呼ぶもの1891年横浜生まれの長谷川が1913年から手がけた文芸雑誌の表紙・口絵と、彼に影響を与えたオディロン・ルドン、ヴァシリィ・カンディンスキー、ウィリアム・ブレイクらの版画を展示。
第1章|銅版画の研鑽 ―古典技法の発見と刷新1919年に渡仏した長谷川がエングレーヴィングなどの高度な技法を会得し、失われつつあった古典技法マニエール・ノワール(メゾチント)を独自の手法で復興させた歩みを、技法別に紹介 。
第2章|パリの版画界 ―画家たちとの交友デュフィに勧誘され加わった「独立画家=版画家協会」時代の1920-30年代の作品を、マティス、ピカソ、ラブルールら同協会画家の作品と並べて展示。
第3章|『竹取物語』 ―フランスで刻まれた日本の美1920年代後半から取り組み1933年に完成させた挿絵本『竹取物語』を、口絵から文字の図案、紙の種類にまでこだわった構成で紹介。
第4章|自然 ―白昼に神を視る第二次世界大戦中もフランスに留まった長谷川が、樹木や草木に神秘を見出しながら描いた戦中・戦後の版画 。
第5章|静物画 ―マニエール・ノワールの宇宙1950年代後半、伝統的なマニエール・ノワールに立ち返り制作した、深遠な黒を背景とする象徴性を帯びた静物画。長谷川の集大成ともいえる晩年の代表作が並ぶ。
主な出品作品リスト
作品 | 制作年 | 技法 | 所蔵 |
《赤い背景のふたりの騎手》(『響』より、カンディンスキー) | 1911年刊 | 木版 | 町田市立国際版画美術館 |
《アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船》 | 1930年 | メゾチント | 町田市立国際版画美術館 |
《オランジュと葡萄》 | 1932年 | メゾチント | 町田市立国際版画美術館 |
『竹取物語』「貴公子たちの求婚」の章 挿絵 | 1927-34年(1934年刊) | エングレーヴィング、ドライポイント | 町田市立国際版画美術館 |
《一樹(ニレの木)》 | 1941年 | ドライポイント | 町田市立国際版画美術館 |
《狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)》 | 1963年 | メゾチント | 町田市立国際版画美術館 |
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