2026展覧会レポート#40|北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより@国立西洋美術館
- 6 日前
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同じ入り口から入る、リトアニアの画家チュルリョーニスの展覧会と同時開催の北斎展。
チュルリョーニス展のフロアは、まあまあ混んでいるな、という印象でした。
それが地下へ降り、北斎の会場の入り口から内部を覗いた瞬間、面食らいました。
密度が違う。列も人もすき間なく密集し、どこから入ればいいのかわからないほど(列に並ぶしかない?)。異様な熱量に、期待と、若干引いている自分がいました。

四面の壁がぐるりとギャラリーのように囲む空間に、北斎が下絵を描いた浮世絵が並びます。ナチュラル(クリーム色)の木枠に収められ、目線よりやや下に展示された作品を、観客は入り口から壁面に沿って進みながら眺めていく。セクションはAからFまで、北斎の筆名とその筆致の変遷ごとに分類されていました。
2024年に国立西洋美術館へ寄託された「井内コレクション」は、《冨嶽三十六景》全46図を揃えるだけでなく、《神奈川沖浪裏》と《凱風快晴》の別摺りも所蔵しました。今回の展示ではじめて一挙公開しました。最大の特徴は保存状態と摺りの質の高さ。初期摺りに近い作品が多く、版木の摩耗が少ないため、線のシャープさと色彩の鮮やかさが驚くほどよく残っています。
《神奈川沖波裏》は3枚並び、摺りの違いを比較できます。そして通称「赤富士」と呼ばれる《凱風快晴》と、その藍摺り版「青富士」が隣同士に展示されていました。
この青について、少し書きます。「ベロ藍」と呼ばれるこの顔料は、ベルリンで生まれ、ベロリンとなまってベロ藍と呼ばれるようになったという。北斎をモチーフにした小説や浮世絵研究には必ず登場する言葉で、北斎の絵と切り離せないキーカラーです。
北斎はみずから版画工房で修行した経歴を持ち、版画の完成度と色彩へのこだわりは並外れていました。より良い作品のためならば惜しみなく投資する。その貪欲さが、当時まだ高価だった舶来の青へと向かわせます。ベロ藍(プルシアンブルー)が日本の浮世絵界に広まったのは、北斎がその発色の力を誰よりも早く見抜き、積極的に取り入れたからだと言われています。
青という色には、長い歴史があります。古代ローマや中世初期においてそれは不吉な色とされていました。しかし12世紀に入ると聖母マリア信仰の広まりとともに、ウルトラマリンや紫みがかった青が「天の真実を顕す色」として尊ばれるようになり、青は信仰の色へと変わります。希少な鉱物から作られ、根気と資本を要した青は、長らく贅沢品でした。それが産業革命期のベルリンで化学合成され、ベロ藍として東へ渡り、やがて北斎の版画の波に溶け込みます。青が人々に切望されてきた理由を探りたくて、ベロ藍について知りたくて、展示の前に思わず手に取ったのが『なんで人は青を作ったの?青色の歴史を探る旅 13歳からの考古学』でした。
薄暗いフロアの壁面に、そこだけ別の世界があるかのように作品が浮かびあがる。
観客は自然に列をつくり、足の先で少しずつ前へ進みます。外国人のご夫婦は《神奈川沖浪裏》の前でセルフィーを撮っていました。東京タワーやスカイツリー、浅草寺の前で写真を撮るのと同じように、北斎の現物と自分を並べて撮ることが、日本に来たことの証明になっているのでしょう。この展示を見つけてここまで来て、あの波の前に立ったときの嬉しそうな顔。単眼鏡を取り出し、紙の繊維まで丹念に見る人がいました。立ち止まったまま動かない人、隣の人と小声で言葉を交わす人。小さな会場に、人それぞれの熱がありました。
北斎の展覧会は2度目です。前回は北斎漫画をメインにした展覧会で、森羅万象あらゆるモチーフを黒一色で描き尽くす、画狂老人のユーモアと底知れない量に圧倒されました。しかしあの展示では作品はガラスケースに収められ、わたしは少し上から見下ろすように眺めました。漫画(本)は大量に刷られたものだから、初摺りのエッジの効いた線、という概念がそもそも薄い。
今回はまるで違う。壁面に目の高さで展示された色彩刷りの版画は、摺りと色彩と職人性が迫ってくる。ガラス越しに見下ろす作品と、目線の高さで向き合う作品。その違いは思った以上に大きく、底力を見たという気がしました。
北斎という名前には、最初から絶対的な印象があります。しかし娘との関係や人物像、江戸の社会や時代背景をかじるように少しずつ知るにつれ、考え方が変わってきました。北斎が生み出す作品への想像とバイタリティは、彼一人によって成し遂げられたわけではないこと。彼一人を偉人として崇めることは、物事の一面しか見ていないことになります。一人ではできないことを、無数の人々が支えて初めて成り立つ。そのことが、今回の展示でより鮮明に見えてきました。
足の先で少しずつ進みながら作品を眺めていると、ふと錯覚が訪れます。
江戸の風景に、一瞬だけタイムスリップするような感覚。今から約200年前に摺られた版画が、いまも活きのいい青を保ち、線は鋭く、色彩は滲まず、裏面の紙の状態すら力強さを失っていません。
原画を描く北斎がいて、版木を彫る職人がいて、色を摺る職人がいて、顔料を輸入し調える商人がいる。浮世絵一枚は、その全員の仕事が重なって初めて成立します。パリのイデム工房でピカソが職人たちを誰よりも大切にしたという逸話を思い出します。真っ先に多額の報酬を渡していたという。浮世絵ほど、無名の職人の芸術性を沈黙のうちに証明するものはないかもしれない。
また、3点は裏面も鑑賞できるよう工夫されていました。先日見たルオーのアトリエ展と同じ方法です。作品の「裏側」を見せるという行為は、制作プロセスや物質そのものへの敬意のように感じられます。
現代のわたしたちは、美術館で厳密な温度管理と照明のもとに浮世絵を見ます。でも当時、浮世絵はかけそば一杯ほどの値段で売られていた、という話があります。人々はそれを手に取り、光にかざし、角度を変え、紙の凹凸である「空摺り」を指で楽しんでいました。日常の娯楽として。
その想像をできる限り遠くへ飛ばしてみると、北斎の絵が「美術品」ではなく「生活のなかの一枚」だったことの意味が、変わってきます。
わたしたちは作品を保護することで、何かを見失っているのではないか。
去年の12月、ドキュメンタリー映画『バレンと小刀』を観ました。木版画の職人を追ったその映画には、技術の継承が今まさに危機に瀕している現実が映し出されていました。手に触れられる浮世絵の手軽さは、大量生産・大量消費でのみ成立するのではありません。それを求める人々の目と手と関心が、職人を育て、技術をつなぎ、次の消費と生産を生みます。
その循環が途切れるとき、浮世絵は本当の意味で「過去のもの」になってしまいます。
美術館のガラスケースは作品を守ります。技術は使われずに生きられない。
保存と継承は、似ているようで、まったく別のこと。
一見すると接点の見えにくい「チュルリョーニス展」と「北斎 冨嶽三十六景」展ですが、同時開催は意図的なのだろう。
国立西洋美術館は北斎展の解説の中で、北斎の影響がモネやドガだけでなく、リトアニアの画家チュルリョーニスにも及びました。両展は「北斎からヨーロッパへ」という美術史の流れを、印象派だけではなく東欧・バルト地域まで拡張して見せる構成です。
さらに《冨嶽三十六景》が自然の壮大な秩序を描く作品群であるのに対し、チュルリョーニスは宇宙や精神世界を主題としました。富士と星図、外なる風景と内なる風景。二つの展覧会は、異なる文化圏における「世界の見方」を往復しながら鑑賞するよう設計されています。
46図を一度に見ること。ベロ藍の底力。吸引力と生鮮さと煌めき。衝撃でした。
【北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより】
会期:2026年3月28日[土]-6月14日[日]
会場:国立西洋美術館
開館時間:9:30~17:30(金・土曜日は~20:00)※入館は閉館の30分前まで
入場料:2,200円
🪞開催概要・会場構成・注目作品
♦開催概要
2024年に国立西洋美術館へ寄託された「井内コレクション」から、葛飾北斎(1760–1849)の代表作『冨嶽三十六景』を初公開する展覧会。西洋美術を専門とする同館で北斎の名品を鑑賞することで、彼の作品がモネやドガら印象派をはじめ西洋の芸術家たちを惹きつけた歴史に思いを馳せることができる、またとない機会。主催は国立西洋美術館と読売新聞社で、監修は十文字学園女子大学教授・樋口一貴氏が担当。
井内コレクションの特徴:摺られた時期が全般に早く、版木が摩滅する前のフレッシュな状態で刷られたためシャープで鮮明。また裏打ちが施されていないものが多く、背面からも絵具の鮮やかさとバレンの跡が確認できます。
♦会場構成
全48点を、版下絵が描かれた順序を辿る6つのグループに分けて展示。また、3点の作品を表裏両面から鑑賞できる展示方法も採用している。
♦出品作品
葛飾北斎『冨嶽三十六景』(天保1–4年頃 / 1830–33年頃)横大判錦絵、版元:西村屋与八、井内コレクション(国立西洋美術館に寄託)。シリーズ全46図に異なる摺りを2点加えた計48点。
♦注目作品
神奈川沖浪裏(2点)凱風快晴 赤富士(1点)凱風快晴 青富士(希少・1点)
山下白雨 深川万年橋下 礫川雪ノ且 江都駿河町三井見世略図 五百らかん寺さゞゐどう尾州不二見原 甲州石班沢 相州七里浜 東都浅草本願寺 東海道吉田 甲州三島越
駿州江尻 身延川裏不二 諸人登山 他 全46図
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