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2026展覧会レポート#60|瀧口修造 書くことと描くこと@アーティゾン美術館

  • 8月26日
  • 読了時間: 7分

📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。


黒い紙の上を、モーターで描かれた円がゆっくりと回っている。

海底のような、生き物の臓器のような、心霊写真のような、なまっぽいものがそこにうごめいている。先日観た作品は、そんな作品が並ぶ展覧会でした。


「エットレ・サットサス」展と同時開催していた「瀧口修造」展を見てきました。


石橋財団が近年収蔵した瀧口の造形作品計163点(他作家との共作含む)のうち、約半数を初めて大規模に公開することも見どころのひとつです。

本展は「書く」ことから「描く」ことへ、という軸で構成されていて、1960年頃に評論の執筆を控え、制作に本格的に向かうようになった瀧口の転回を辿るものでもありました。



2026年6月23日[火] - 10月4日[日]|「瀧口修造 書くことと描くこと」|アーティゾン美術館
2026年6月23日[火] - 10月4日[日]|「瀧口修造 書くことと描くこと」|アーティゾン美術館

「書く」から「描く」への軌跡


紙に原稿を肉筆で描くように、初期の作品はうねうねした線によるドローイングや、墨の飛沫を生かしたものでした。これらを見ていくうちに、ここからどんな展開をしていくのか興味を持ちました。すると、デカルコマニーや、火を使う「バーント・ドローイング」へと発展していきます。水と火の相互作用によって、無意識や偶然という要素に任せる方法になったのです。


それは、絵でしかあらわせないものを支持体に残すことに、強い意識を向けたのではないでしょうか。その世界にのめり込んだというような勢いと熱を感じました。


会場には、線のデッサン、水彩、バーント・ドローイング、ロトデッサン、デカルコマニー、手作り本、オブジェなども展示されていました。



なぜデカルコマニーだったのか

デカルコマニーは、絵具が乾く前に紙を重ねて剥がすことで、作者の意図が入り込みにくい、偶然そのものの形象が生まれます。


先日オペラシティで観た「拡大するシュルレアリスム」展でも、ドミンゲスによる《無題――デカルコマニー》1953年(横浜美術館蔵)が前・後期を通じて出品されていて、この技法がシュルレアリスムの中核をなすオートマティスム(自動記述)の絵画版のようなものだったことを、あらためて感じました。


瀧口にとってこの技法は、単なる新しい表現の手段ではなく、「書く」人としての自分(言葉を選び、批評として組み立てる、意識的な行為)から一度手を離す方法だったのではないかと思います。


瀧口のデカルコマニー作品は、実際にあるどこかの絶景のようでもあるし、海底の世界のような水の動きを感じます。生き物の臓器のようでも、心霊写真のようにも見えたりしました。これが直接的な表現というものなのだろうか。生っぽいものがそこにうごめいていました。


帰ってから図録を読み返すと、「一方、紙を焼いたりなんかしているのは、かなり観念的なものが出ますけれど、それでも限界はあるでしょう。とにかく自分なりに一つの直接的なものが出せるかどうかということが問題だ…」(「対談・創ることと壊すこと」『現代詩手帖』1963年1月号)という瀧口自身の言葉に出会いました。


観念的なものと直接的なものと、その境目が肝だったのだろうと思います。偶然に身を委ねながらも、そこに「自分なりの直接的なもの」を見出そうとするデカルコマニーという技法は、瀧口にとってその両方を試す場所だったのかもしれません。



黒い部屋のロトデッサン


また「ロトデッサン」という聞き慣れない作品は、黒い紙にモーターで描いた円です。

1963年に着想し、友人への贈物として試みたものだといいます。こちらも太陽や星の自転の軌跡のようです。神秘的な作品で、ルーシー・リーの陶器も連想しました。

同じフロアの真っ黒な部屋には、ガラスケースの中に「ミロの星とともに」というリトグラフの入った書籍も展示されていました。


こうして「描く」人としての瀧口を追いながらも、会場にはアーティゾン美術館の国内外の作家のコレクション作品とともに、瀧口が美術批評をした作品も並んでいました。「書く」人としての瀧口と「描く」人としての瀧口、そのふたつが同じ会場で交差していました。



自分の制作へのヒント

わたしがドローイングをするときに、どうしても頭打ちになっていた少なくない要因の突破口が、瀧口のデッサンを見ていると随分と参考になりました。そして、この作品群で試していたことを忘れないようにと、図録も購入しました。


会期:2026年6月23日[火] - 10月4日[日]

※休館日:月曜日(7月20日、9月21日は開館)、7月21日、9月24日

会場:アーティゾン美術館 5・4階展示室

開館時間:10:00–18:00(毎週金曜日は20:00まで)*入館は閉館の30分前まで

 入場料:一般1,200 円(ウェブチケット)、1,500 円(窓口販売チケット)


💡事前にウェブチケットで購入するのがおススメです。




🪞作家プロフィール・会場構成・主な出品作品


瀧口修造(たきぐち しゅうぞう、1903–1979)

富山県生まれ。1921年に上京し、1926年から慶應義塾大学文学部英文科で西脇順三郎に学び、シュルレアリスムへの関心を深めるとともに自ら詩作を始めた。1930年にアンドレ・ブルトン『超現実主義と絵画』を翻訳刊行し、以後シュルレアリスムの造形活動を中心に美術評論を展開。1950年代には美術時評の執筆や読売アンデパンダン展の批評、タケミヤ画廊での作家選定などを通じて日本の同時代美術に深く関与し、1958年の第29回ヴェネチア・ビエンナーレでは日本館展示のコミッショナー・審査員を務めた。1960年頃から評論執筆を控え、自ら「デッサン」と呼ぶ制作に本格的に取り組み始め、同年10月に初個展「私の画帖から」(南天子画廊)を開催。1970年代にかけて多様な技法を実験しながら自作発表を重ね、1979年に病没した。ーアーティゾン美術館HPより



会場構成

会場は5Fと4Fの2フロアにまたがり、内容も大きく前半・後半の二部構成となっている。

フロア

部構成

テーマ・時期

5階

第1部

「書く」営みを核とした瀧口像。1920年代の詩作から1950年代末までの評論・翻訳・作家紹介活動

4階

第2部

瀧口が「デッサン」制作に本格着手した1960年以降の「描く」行為の展開

展示の柱は大きく3つに整理できます(見どころとして公式発表)

  1. 瀧口自身の造形作品:石橋財団が近年収蔵した瀧口の造形作品計163点(他作家との共作含む)のうち、約半数を初めて大規模に公開。

  2. 「書く」から「描く」への通路:1920年代の詩作に始まり美術評論へと至る「書く」行ないを踏まえ、1960年頃の「描く」行為への移行がどのように生まれたかを辿る。

  3. 関連作家セクション:セザンヌから草間彌生まで、瀧口が論じ・交流した関連作家の作品を石橋財団コレクションから出品し、瀧口の美術観の背景を示す。


なお5・4階では同時に「石橋財団コレクション選」として近代美術の代表作も展示され、6階では「エットレ・ソットサス」展が同時開催されている。



主な出品リスト

全体で瀧口作品と関連作家作品あわせて約140点の展観。


瀧口修造 代表出品作(画像公開分より)

  • 《無題》1960年

  • 《無題》1962年

  • 《作品》1966年

  • 《マルセル・デュシャン語録》1968年

  • 《無題》1968年

  • 《私の心臓は時を刻む》1971年

  • 《無題》1971年

  • 瀧口修造・岡崎和郎《檢眼図》1977年

  • 瀧口修造・ジョアン・ミロ《手づくり諺 —ジョアン・ミロに》1970年


関連作家の出品作(一例)

  • パウル・クレー《小さな港》1937年

  • 岡鹿之助《雪の発電所》1956年

  • 福島秀子《銀の絵》1959年

  • 荒川修作《クールベのカンヴァスNo.2》1972年


他の出品作家(生年順・全リスト)

ポール・セザンヌ、オディロン・ルドン、コンスタンティン・ブランクーシ、パウル・クレー、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、ジャン・アルプ、マルセル・デュシャン、マン・レイ、マーク・トビー、ジョアン・ミロ、ジャン・フォートリエ、岡鹿之助、ルーチョ・フォンタナ、アンリ・ミショー、ジャン・デュビュッフェ、ジョゼフ・コーネル、斎藤義重、村井正誠、脇田和、浜口陽三、オノサト・トシノブ、ヴォルス、駒井哲郎、野見山暁治、元永定正、アントニ・タピエス、福島秀子、山口勝弘、草間彌生、ジャスパー・ジョーンズ、岡崎和郎、靉嘔、荒川修作


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