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忘れられた画商、紙の屑、好きなもの全部。2026年7月前半の読書から。

  • 6 日前
  • 読了時間: 6分

📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。


2026年7月前半の読書から、3冊をご紹介します。


今月前半は、小説、評伝、画集のような本をピックアップしました。

今回はご紹介できませんでしたがゴッホにまつわる本を2冊読みました。

内容的にもページ数も充実していて読み終えるのに時間がかってしまいました。


今週から小学校は夏休みに入ります。読書感想文は夏休みを代表する定例の宿題ですが、わたしも読書レポートを書く中で、この感想と書評、レポートの違いが曖昧で、ブログを書きながら毎回これで良いのか?と試行しています。


皆さんが1冊でも面白そうだな、読んでみたいなと興味を持って頂けると嬉しいです。


💬これまでご紹介した本はこちらからご覧ください。



📚ゴッホと同じパリにいた、忘れられた日本人画商の一生。

『林忠正 浮世絵を越えて日本美術のすべてを』

著者:木々やすこ

出版年:2004年

出版社:ミネルヴァ書店


上野の森美術館で大盛況の「大ゴッホ展」。見に行く前後でゴッホ関連の読書を続けていました。ゴッホ兄弟がフランスで活動した当時のパリでは、浮世絵ブーム(ジャポニズム)と印象派が交差していました。その時代の中心に、ある忘れられた日本人画商がいます。


1853年、加賀藩の蘭方医の次男として生まれた林忠正。1878年、パリ万博の通訳として渡仏した彼は、日本工芸品の大評判を目の当たりにします。印象派の画家や革新的な文化人との交友が始まり、パリに残留。1884年にはシテ・ドオトヴィルに美術店を開き、日本の美術品・工芸品・文化を積極的に紹介・普及しました。テオ・ファン・ゴッホも林の店の近くの画廊に勤めていました。

それにもかかわらず、ゴッホが林の店で浮世絵を購入した記録はなく、林もゴッホの作品を一点も購入していません。同じ時代のパリで、互いの存在を知りながらも交わらなかった二人——当時の画商と画家の人間関係を想像すると、魅力的で想像の余地が広がります。


林の仕事の本質は、浮世絵よりも日本美術の総体への深い理解を西洋に伝えることにありました。しかし戦後、日本の芸術品を海外に流出させたとして「国賊」扱いされ、黙殺されます。国粋主義・軍国主義の台頭の中で、フランスから持ち帰った芸術的思想や近代社会の指針は、自国で実を結ぶことがありませんでした。


著者・木々康子氏にとって、林忠正と磯部四郎は夫の父方・母方それぞれの祖先にあたります。その縁から得た豊富な資料と身内の情報が、この広汎で詳細な評伝を支えています。



📚書く人から描く人へ

『光とゼラチンのライプチッヒ』

著者:多和田葉子

出版年:2000年

出版社:講談社


この作品は10篇の短編集です。その中でとくに引かれた2編をご紹介します。

2作目に収録された胞子は、耳をモチーフにした作品でした。読み進めると、ゴッホの有名な耳切りのエピソードが挿入されており、ゴッホその人がぼんやりと思い浮かぶような書かれかたでした。ゴッホをこのように描く小説家の創作は、なんと美しいのだろうと思いました。


8作目捨てない女は、東京新聞1999年11月27日に初出された短い読み物です。作者は小説を書くとき紙に手書きするそうで(パソコンは使わない)、その際に出る「燃えるゴミ」としての小説の屑について書いた一編です。

図書館などで調べものをして30枚、ウォーミングアップとして30枚、予防作品として30枚、本番1回目・2回目・3回目としてそれぞれ30枚ずつ——というように紙を消費していく。その燃えるゴミの処理費が100グラム100円という生活廃棄物処理法の改定をきっかけに、作者はなるべくゴミを出さずに創作するアイディアへと想像を膨らませていきます。その発想が何とも楽しく、読んでいてワクワクするものでした。(こういう風に考えたことがなかった!)


絵もパソコンを使わずとも、AIに指示すれば描けてしまう時代です。それでも自分の手で紙を使い、肉筆で制作すること、そこに伴う制作の屑や溜まっていくゴミ。

それらをともなって何かを作り出すということに、改めて嬉しくなりました。

「捨てない女」は、紙を使って制作するすべての人に読んでほしいと思う一作です。



📚好きなものが、作品になる——安西水丸のコレクションと制作

『MIZUMARU’s』

監修:安西水丸事務所

出版年:2024年

出版社:株式会社 淡交社


この本はテキストが少なく、画集や写真集のような小さな一冊です。

安西水丸さんが集めたコレクションと、それをイラストに描いたものを並べて見せる「創作の着想源」と章から本は始まります。安西さんのシンプルですっきりした色合いと線の隣に、描いたオブジェやおもちゃを並べた写真。どちらもかわいい。続くページには、コレクションをひとつひとつ写真に収めたものが並びます。ブルーウィロー、民芸品、郷土玩具、人形、アメリカのフォークアート、スノードーム、灯台——どれも安西さんのイラストの世界から飛び出してきたようです。


それもそのはず、コレクションからイラストが生まれ、イラストはコレクションのような雰囲気を纏う。安西さんが好きなものが、安西さんの作品を作っています。どれひとつ取っても、安西水丸という人から逸脱しないものばかりです。


ハワード・ウィンスター、R.A.ミラー、モーズ・トリバーといったアメリカの作家の作品は、この本で初めて知りました。血肉を注いで苦難と忍耐と精神力で作り上げる、熱い作品だけが芸術だという思い込みをそっとほぐしてくれるような、素朴で安心する優しさがあります。安西さんのコレクションを通して、そういう作品の存在を教えてもらいました。



三冊を並べて


パリで忘れられた画商、紙の屑と格闘する小説家、好きなものをそのまま作品にした画家。

何かを作ること、伝えること、集めること。わたしはここからあるメッセージを受け取りました。それは情報への処方や、広汎な知見で物事を広く見渡すこと。実地調査または、そこに身体を運び自分の眼で見、自分で書く・描くことです。


林忠正は日本美術の総体を西洋に伝えようとして、自国で黙殺されました。多和田葉子は紙を手書きで消費しながら、その屑さえも創作の思考に変えていきます。安西水丸は好きなものを集め、そのまま作品にしました。三者三様でありながら、共通しているのは自分の眼と手への信頼です。


AIが絵を描き、言葉を生成する時代に、手で書き、手で集め、手で描くことの意味を、この三冊はそれぞれの角度から表しています。

月末の三冊もどうぞご期待ください。



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