女優、おかみ、名前を捨てた女ー2026年7月後半の読書から。
- 7 日前
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📍いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
2026年7月後半の読書から、3冊をご紹介します。
今月は朝井まかてさんと多和田葉子さんの小説、三冊をご紹介します。
どれも女性が主人公の物語です。
歴史小説の二冊には、現代のわたしたちが共感する心情と本音が描かれています。そして多和田作品では、平凡な時間の流れの中で突如として記憶や背景が奪われたとき、「わたし」とは何か、名前なのか、性別なのか、国籍なのか、という問いが国境を越えて迫ってきます。
皆さんが1冊でも面白そうだな、読んでみたいなと興味を持って頂けると嬉しいです。
💬これまでご紹介した本はこちらからご覧ください。
📚「私、四十になったら死ぬの」—大正の舞台に賭けた、ひとりの女の肖像。
著者:朝井まかて
出版年:2020年
出版社:新潮社
実在の女優・伊澤蘭奢(いざわ らんじゃ)を主人公に描いた歴史小説です。史実に基づきながら、内面描写や細部には創作が含まれています。
島根県・津和野の旧家に嫁いだ女性が、松井須磨子の舞台に衝撃を受け、「私、女優になるの。どうでも、決めているの」と、27歳で夫と幼い息子を残して上京します。東京で女優・伊澤蘭奢として大正劇壇のスターへと変身し、「四十になったら死ぬの」という口癖の通りに40歳で早逝した、ひとりの女性の物語です。
本書の語り口が独特なのは、蘭奢の人生を彼女自身の視点だけで語らない点です。愛人兼パトロンの実業家・内藤、人妻だった頃からの恋人・徳川夢声、サロンに出入りする帝大生の福田、そして生き別れの息子・佐喜雄——四人の男、ひとりひとりとの関係によって、蘭奢の役割も見せる顔も異なります。
p.128にこんな言葉があります。「このまま平凡な女で終わるのは厭だ。どうにかして、あの世界に行きたい。観衆ではなく、舞台で生きる人間になりたい。」大正時代の女性の言葉とは思えないほど、現代のわたしたちにも響きます。性別を問わず、人の本心からの欲求の声ではないでしょうか。
朝井まかては実在の人物を主人公に歴史小説を描く作家ですが、大正時代の女性を主人公にした作品は珍しく感じました。仕事と家庭・育児の両立、これと決めたものに一本で進んでいくときの心境や人間関係は、この時代にあっても現代にあっても変わらないかもしれません。もしそれが令和の時代に変化があるとすれば、それは何か——現代を生きる人に聞いてみたいと思いました。
📚 文明開化の波の中で生きた草野ゆき
『朝星夜星』
著者:朝井まかて
出版年:2023年
出版社:PHP
西洋料理人として長崎・大阪・京都にレストランやホテルを開業した草野丈吉の妻・ゆきを主人公に据えた、家族の一代記です。
ゆきは肥後(現在の熊本県)の百姓の家に生まれ、12歳で奉公に出た女性です。そこで見合いをし、結婚した相手が丈吉でした。丈吉は長崎でいち早く西洋料理を提供した料理人で、「自由亭」を長崎・大阪・京都へと次々に展開し、明治天皇をはじめ時代の要人や海外の主要人物の食事を献じるほどの実力者へと成長していきます。
物語の舞台は幕末から明治中期にかけての激動の時代です。岩崎弥太郎、陸奥宗光、五代友厚、後藤象二郎、ロシア皇太子(後のニコライ2世)といった実在の人物も登場し、西洋文化が怒涛のように流入した時代の空気をリアルに伝えます。
しかし朝井まかての筆が向かうのは、表に出ないゆきの本音です。丈吉は何でも自分で決めて突進するエネルギッシュな人物でありながら、妾の存在などをしれっと内緒にしてしまう面もあります。ゆきはそれを身体の内に秘めながら、妻・母・おかみという複数の顔をやりくりしていきます。その本音の描かれかたが爽快で、読んでいて面白い箇所でした。
最も意外だったのは、中盤を過ぎたところで登場した「サイエンスとアート」というキーワードです。視覚に訴え、眼から入る印象で人を喜ばせること——それが料理にも通じるという発想は、時代を超えています。
朝井作品を読み続けてきて初めて浮かんだ問いもありました。ゆきが孫の赤ん坊を慈しむ場面です。この時代の人々にも、そうした感情は共通してあったのか。江戸の絵師・長沢蘆雪が子犬や子どもへの慈しみを独特の筆致で描いたように、小さく弱いものへのまなざしがいつ「描かれるべきもの」として社会に現れてきたのか——小説を読みながら、そんなことをふと考えました。
📚 海に捨てたもの、白いモノクローム。
『海に落とした名前』
著者:多和田葉子
出版年:2006年
出版社:新潮社
2006年に文芸誌「新潮」9月号に掲載された4編を収めた短編集です。表題作には、多和田葉子作品のキーモチーフが散りばめられています。言語、アイデンティティ、名前の喪失——多和田作品を読み続けてきた方には、なじみ深い問いが流れています。
主人公の女性は、ある出来事をきっかけに自分の名前を失います。記憶も住所も思い出せない。パスポートも航空券も紛失し、唯一の手がかりはポケットの中のくしゃくしゃなレシートの束だけです。印字された情報が何かを呼び覚ましてくれるかもしれないと、主人公はレシートを一枚一枚確認しながら必死で手放しません。しかしやがて印字された文字は薄くなり、紙の白さだけが浮かび上がっていきます。
そこで出会う一文が印象的です。主人公を診察した医師の甥がこう言います。「記憶があなたを捨てても、才能は残るものだと思う。だから記憶ではなく才能を呼び覚ますのがいいんじゃないかな。」記憶ではなく才能によって自分を取り戻すという発想は、この物語の核心をなす言葉です。
後半に向かうにつれ、主人公に起きた出来事の輪郭と疑惑が少しずつ明らかになります。周囲の助けようとする思惑に彼女は恐怖を感じ始め、そこから「逃げる」ために、これまでの名前を自ら捨てることを選びます。
レシートの文字が薄くなり白い紙に戻っていくように、主人公もまた名前・記憶・住所といった個人を特定するものをすべて失い、白紙の状態へと還っていきます。固執してきた記録から解き放たれ、自分に本来備わっているものだけを頼りに生きていく——その選択が、彼女を真新しい舞台の演者へと導きます。
三冊を並べて
舞台に賭けた女優、時代の波を渡ったおかみ、名前を海に捨てた女。
三人はそれぞれ異なる喪失と選択の前に立ちます。
共通しているのは、地盤の脆さを知りながらも、希望を次へとつなげていく姿です。不可抗力によって何かを失うことは、いつの時代にも、誰にでも起きうる現実です。それでも軽やかに、しなやかに、逞しく生きていく女性たち。三冊はその希望を、それぞれの時代と言葉で伝えています。
来月の三冊もどうぞご期待ください。
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