紙と手と、燃えるゴミ|多和田葉子『光とゼラチンのライプチッヒ』を読んで。
- 7月5日
- 読了時間: 3分
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某日、友人とお茶をしているとき、こんな話になりました。不慮の事故で画家(親)が亡くなった後、描きためたキャンバスや膨大な作品を残された子どもはどうするのか——遺産として相続するのか、知らないうちに抱えていた借金を返すために手放すのか、というドキュメンタリー番組を見たと友人が話してくれたのです。3回連続で全部見てしまったこと、そして「自分が描いた大きなキャンバスや作品を、子どもはどうするんだろう」と振り返ってしまったと。
その話を聞きながら、わたしはふとルオーのことを思い出していました。ルオーは人に売った作品にも気になる箇所があると筆を入れてしまう画家で、ギャラリストはルオーが手を加えられないよう、作品を鍵付きの部屋で保管していたといいます。アトリエには完成しない習作やキャンバスが山積みになっており、ある時、もう生きている間には手を入れられないと分かっている量を火にくべている映像をテレビで見たことがあると、友人に話しました。
作品を遺すこと、焼くこと、手放すこと。
画家が生涯をかけて向き合い続ける問いは、その後に残される時間という人の生として砂時計を連想させます。
📚書く人から描く人へ
『光とゼラチンのライプチッヒ』
著者:多和田葉子
出版年:2000年
出版社:講談社
この作品は10篇の短編集です。その中でとくに引かれた2編をご紹介します。
このところゴッホにまつわる読書が続いていたので、ハッとしました。
2作目に収録された「胞子」は、まさに耳をモチーフにした作品でした。読み進めると、ゴッホの有名な耳切りのエピソードが挿入されており、ゴッホその人がぼんやりと思い浮かぶような書かれかたでした。ゴッホをこのように描く小説家の創作は、なんと美しいのだろうと思いました。
8作目「捨てない女」は、東京新聞1999年11月27日に初出された短い読み物です。作者は小説を書くとき紙に手書きするそうで(パソコンは使わない)、その際に出る「燃えるゴミ」としての小説の屑について書いた一編です。
図書館などで調べものをして30枚、ウォーミングアップとして30枚、予防作品として30枚、本番1回目・2回目・3回目としてそれぞれ30枚ずつ——というように紙を消費していく。その燃えるゴミの処理費が100グラム100円という生活廃棄物処理法の改定をきっかけに、作者はなるべくゴミを出さずに創作するアイディアへと想像を膨らませていきます。その発想が何とも楽しく、読んでいてワクワクするものでした。(こういう風に考えたことがなかった!)
絵もパソコンを使わずとも、AIに指示すれば描けてしまう時代です。それでも自分の手で紙を使い、肉筆で制作すること、そこに伴う制作の屑や溜まっていくゴミ。
それらをともなって何かを作り出すということに、改めて嬉しくなりました。
「捨てない女」は、紙を使って制作するすべての人に読んでほしいと思う一作です。
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