疲れた日に、蘆雪を見る。「かわいい」は癒やしではなく人間らしさ。
- 1 日前
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「かわいい」絵画は好きですか?
いきなりの質問ですが、「かわいい」という言葉が絵画や芸術に使われると、なんとなく軽い印象を受けることがあります。美しさや技術の高さ、権威のある作品こそ鑑賞に値する。心のどこかにそんな感覚が残っているものです。
長沢蘆雪展について書くのはこれで3回目になりますが、美術鑑賞とは、その日見たものが後からじわりじわりと意識に浸透し、理解がひとつふたつと増えていく、その遅れてやってくる感覚もまた、鑑賞体験のもうひとつの顔なのだと、日に日に感じています。
今回は、その「遅れてやってきた理解」のきっかけになった二冊の本について書いてみたいと思います。
企画者を追いかけて、図書館へ
4月に訪れた府中市美術館「春の江戸絵画まつり 長沢蘆雪展」。
開幕からものすごい数の観客が列をなし、ガラス越しに作品を食い入るように見つめていました。あの熱気を生み出した企画は、いったい誰によるものなのだろう。
ー2026年4月30日のブログより
そんな疑問を抱えながら図書館の日本美術の棚を眺めていると、一冊の本が目に留まりました。『かわいい江戸の絵画史』。表紙は蘆雪の犬です。
著者の金子信久さんは府中市美術館の学芸員。2013年「かわいい江戸絵画」、2018年「リアル 最大の奇抜」、2023年「江戸絵画 お絵かき教室」と、府中で独自の切り口の展覧会を企画し続けてきた人物です。今回の蘆雪展も、おそらくこの方が仕掛け人でしょう。企画者を突き止めた(きっと)勢いで、金子氏の著作を二冊続けて読みました。
📚言葉を超えた慈しみの感情。
『かわいい江戸の絵画史』
著者:金子信久
出版年:2023年
出版社:エクスナレッジ
第1版(2020年)と第2版(2023年)を比べると、新たに《狗子図》と《菊花子犬図》のページが加えられています。この追加が意味深です。蘆雪の犬にさらに焦点を絞ることで、「かわいい」という感情の輪郭がよりくっきりします。
p.34に、こんな言葉があります。「かわいいとはそもそも相手への同情や思いやりから生まれる感情」。
語彙の引き出しが乏しいから「かわいい」と言ってしまうのではなく、言葉にしきれない慈しみや愛おしさを抱えたとき、人はその感情を「かわいい」と呼ぶ。そういうことかもしれません。蘆雪が小さきものやか弱いものへ向けるまなざしと、それを描く筆の力加減には、他の絵師とは異なる思い入れの深さがありました。
📚月夜、子犬、細身の掛け軸。「かわいい」は、やさしさ。
『長沢蘆雪「かわいい」を描く筆』
著者:金子信久
出版年:2023年
出版社:東京美術
図版が多くコンパクトにまとまった、画集のような一冊です。
p.104にはこうあります。「そこに描かれているのは親子の情、幼いものや小さくても懸命に生きるものへの思いである。……動物にも人間にも同じ『心』があると当然のように思い、愛を見つめ描いたのだろう。」
また、この本では蘆雪が描く掛け軸のサイズにも触れています。蘆雪のこだわりは幅27センチという細身の掛け軸。通常より幅が狭いぶん、床の間に収めたとき左右の余白が広がり、絵の中の世界がかえって広く感じられるといいます。今後掛け軸を見るときは、サイズにも目を向けてみようと思いました。ささやかなヒントが、鑑賞の喜びをひとつ増やしてくれる感じがして、うれしくなります。
さらに、「かわいい」を描く蘆雪は、輪郭では描けない月夜の表現にも優れています。墨で描いた4点の月夜は、青みがかった夜空と絹地を活かした柔らかな滲みで月を表現しており、ぼんやりとした幻のような光に、蘆雪のやさしいまなざしがそのまま映し出されているようです。
まとめ
「かわいい」は、孤独への処方箋
二冊を通して見えてきたのは、切り取り方ひとつで絵師の顔はがらりと変わる、ということです。
金子氏が見つけた蘆雪は、「かわいい」を軽さや愛嬌としてではなく、小さきものへの慈愛の眼差しとして描いた絵師でした。その視点は、現代に生きる私たちが心のどこかで求めているものにコミットしています。
孤独感に寄り添う小さな存在への愛おしさ、ストレスにさらされた日常のなかで、ふとオキシトシンが分泌されるような、人間らしい温かさへの欲求。
以前読んだ本には、猫を飼うより犬を飼う人が増えたのは人々の孤独がより深まったから。という箇所がありました。
「かわいい」は逃げでも軽さでもありません。蘆雪の絵の前に立つとき、私たちは自分の中にある、言葉にならない優しさやそれを求める自分の乾きに気づかされるのです。
💬2026展覧会レポート#31|春の江戸絵画まつり 長沢蘆雪@府中市美術館
💬日本美術は「入り口」で変わる——蘆雪展・観山展と現役学芸員の本から。
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